レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012/1/26
- 登録日時
- 2012/02/04 02:00
- 更新日時
- 2012/02/04 02:00
- 管理番号
- 1000000512
- 質問
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解決
尚巴志は亡くなった後に天斉山に葬られたと言われるが、関連資料が見たい。
- 回答
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下記の資料を提供する。
『歴代寶案 訳注本 第二冊(第一集巻二三~四三)』(沖縄県教育委員会、1997年)
p465(1-43-20文書)に「・・・不幸にして国王尚巴志、近ごろ薨逝を蒙り、請いて本国の都城の外の天齎山に葬陵す。」とある。
天斉山については下記資料に記述あり。
『南島風土記』(東恩納寛惇著、沖縄財団、1950年)
p118 「天山」の項に「町端・大中・山川三村の境界に在る丘陵で大中石辻の支脈で、今は池端町に属している。丘陵の中腹に2、3の古墳があり、俗に天山の尚巴志墓と唱へられているが、遺骨はなく壙穴を残すのみである。」とある。また、「歴代寶案所収懐機文稿に、尚巴志代の國相懐機が支那江西省龍虎山の張天師に宛てた文稿数通残っている中に、正統4年月日附で、尚巴志の薨去を報じ」ていると記述がある。
『第一尚氏物語』(大盛永意著・発行、1999年)
p206 「附記」の項に「尚思詔王統(第1尚氏)の墓陵は、首里山川の天済山に『天山陵』として立派に建立されていた。・・・この天陵山には、尚思詔、尚巴志、尚忠、尚思達、尚全福、尚泰久の各王が祭られていた・・・」と記述がある。
『新琉球王統史 3』(与並岳生、新星出版、2005年)
p63 「尚巴志の最期」の項に「尚巴志王が葬られたのは、龍潭の北西近くです。天齊山(天山陵)と呼ばれます。・・・現在、その遺跡に、尚巴志王の石棺台座といわれるものが遺されています。」と記述がある。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 1 歴代寶案 訳注本 第二冊(第一集巻二三~四三) 沖縄県文化振興会公文書館管理部史料編集室∥編 沖縄県教育委員会 1997.3 K200.8/O52/2 465
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2 南島風土記 東恩納 寛惇∥著 沖縄財団 1950.3 K29/H55/ 118 -
3 第一尚氏物語 大盛 永意∥著 大盛 永意 1999.12 K28/O63/ 206 -
4 新琉球王統史 3 与並/岳生∥著 新星出版 2005.11 K201/Y82/3 63
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000101079