1938年(昭和13年)の旅券の改正によって、旅券の各ページに「五七の桐」が使われるようになりました。当時の改正の内容を示す記録は、外務省記録「外国旅券関係雑件」に収められています。
日本では、1920年(大正9年)10月にパリで開催された旅券に関する国際会議での決議に基づき、1924年(同13年)の改正時に現在のような手帳型の旅券が採用され、1926年(同15年)から使用されていました。
しかし、この旅券には、表紙に印刷された菊の紋章が法令に定める形と異なっていることや、表紙と内ページとの国号表記の不統一、携帯時に表紙の色が衣服に移る、といった問題点があったため、改正が必要となりました。
このうち、菊の紋章に関しては、表紙のほか、各ページの中央にも印刷されていたため、用紙の素地に入っている模様と一体化するおそれがあるとの問題点が指摘されました。そこで、ページ中央に印刷されていた菊は、皇室の御紋章として法律等で定められたものではない「五七の桐」に替えられることとなりました。
この改正を施した旅券は1938年8月頃から使用が開始されました。それ以後、旅券の内ページには「五七の桐」の紋章が模様としてあしらわれています。