微粒子病とは蚕の病気で、1850~60年代にヨーロッパで大流行し、フランスでは養蚕業が壊滅的状態に陥りました。明治初期に外務省が編纂した幕末外交史料集『続通信全覧』の「類輯之部 物産門 蚕卵寄贈及購求之件」には、ヨーロッパ各国が日本で蚕卵紙を求めた様子が記録されており、フランスへの寄贈については、次のような記録が残っています。
1865年3月(元治2年2月)、幕府は1500枚の蚕卵紙を寄贈し、その後さらに、同年9月(慶応元年7月)、蚕卵紙1万5000枚を寄贈する旨、通知しました。幕府からのこの申し出に対し、駐日フランス公使ロッシュ(Leon Roches)は、幕府がかねてより希望していたアラビア馬寄贈の件について、フランス政府に伝えると申し出ました。
この後、蚕卵紙は同年10月19日(8月30日)にフランスへ送り出されましたが、フランスから馬が到着しないまま翌年を迎えたため、ロッシュが自身所有のアラビア馬1頭を将軍に進呈するという配慮を示したことが記録に残っています。
そして、蚕卵紙寄贈から2年後、ついにアラビア馬が日本に到着したとの知らせをうけ、老中小笠原長行は、1867年7月27日(慶応3年6月26日)に江戸城「大手門内下乗橋外」において馬の寄贈を受ける旨、ロッシュに伝えました。また、馬に付き添って来日した一等士官1名には「大小一腰、紅白縮緬五端」が、兵士4名には洋銀200枚が幕府より贈られました。
(注)蚕卵紙=蚕の卵が産みつけられた紙