レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010/09/26
- 登録日時
- 2011/03/31 02:00
- 更新日時
- 2011/03/31 02:00
- 管理番号
- 千県中参考-2010-0020
- 質問
-
解決
日本のパスポートの発給第1号は、「佐藤進」と「曲芸師」のどちらが正しいのかを調べている。
『パスポートとビザの知識』(有斐閣選書 初版1987年3月、新版1994年7月刊)には、このことに関してどのように記述されているか。
また、両者の違いを解説した図書があったら知りたい。
- 回答
-
何をもって日本のパスポート(旅券)の発給第1号とするかは説が分かれるようです。
当館で確認できた情報をご紹介します。
(1)
『パスポートとビザの知識 新版』(春田哲吉著 有斐閣 1994 有斐閣選書)の記述は次のとおりです。
「第1部 パスポート(旅券)-第3章 わが国の旅券の歴史- 1 幕末以前の旅行免状」
という節の中で、「最初の旅券」の見出しの文章中に、幕末に初めてパスポートが発行された者の
姓名、住所等のリストが外務省の外交資料館に保存されており、そのファイル名は
「旧幕府之節 免状申受之者姓名調・慶応二丙寅中 海外行 人名表」となっていること、
外国奉行から慶応2(1866)年10月19日付で57枚の渡航免状(パスポート)が発行されたことと、
「その免状の第1号から第27号まではアメリカ人に雇われてアメリカやヨーロッパに渡航した
見世物芸人たちのものであり、その第1号は江戸、神田相生町源助店の手品師、隅田川浪五郎
あてに渡航先が亜国(アメリカ)として発行されたものである」(p66-68)との記述があります。
なお、続けて次の記載があります。
「『続通信全覧』(外務省外交資料館蔵)に載っている免状の控え用の写しには発行年月日が
一〇月一九日ではなく一〇月一七日と記載されており、また、「裏に蘭文字有之」と注記が
付されている。これは、「一〇月一九日、『裏に英文字有之』」の書き間違いかと思われる。」(p68)
また、同じ第3章で、「2 戦前までの旅券下付制度」という節、「明治初期の旅券制度」の見出しの文章中、
「明治新政府になって最初に発給された旅券は、明治元年(1868)年11月3日付で
兵庫裁判所(司法機関ではなく、廃藩置県以前に開港場に設置された神戸地方の行政機関)
から久留米藩士山田【いね】養(いねやす)(別名正之助)という人に下付された
兵庫の第1号であるという。」との記述があります。
上記に続けて、明治2年1月に新政府がそれまでの印鑑
(旅券)を改造(様式改定)して新たな印章(旅券)を引替えに渡すこととした旨の説明があり、
「そして、この布告に基づいて印旛県(佐倉藩)より願い出のあった堀田相模守医(藩医)の
佐藤尚中の養子で佐藤進という人に明治2年6月に神奈川の第1号が発給された。」(p73-74)
との記述があります。
なお、山田【いね】養(いねやす)の記載の引用出典は、
『明治事物起源』(石井研堂著 増訂 春陽堂 1926)p88となっています。
当館所蔵の復刻版『明治文化全集 別巻 明治事物起原』(明治文化研究会編 日本評論社 1969)を確認したところ、「海外旅行免状第一号二人」の項目(p332-333)において山田【いね】養(いねやす)と佐藤進が紹介されていました。
※文字化け防止のため漢字を置きかえて記載しています。
【いね】は、のぎ偏(禾)の右側に「曳」を書いて、右肩に点が1つ付く漢字です。
(2)
『幕末・明治のホテルと旅券』(大鹿武著 築地書館 1987)
「3 幕末における海外渡航と旅券の誕生」という章、「免許状第一号」の見出しの文章中、
「『慶応丙寅・丁卯海外行人名表』に神奈川第一号と記されているのは横浜太田町房吉で、イギリス人トーマスの小使いとして、渡航期限一ヶ月で清国へ往復、慶応2年6月帰朝したことになっている。」(p163)との記述と、慶応2年9月決定した川路太郎・中村敬輔ら14名のイギリス留学生について「実質的には免許状の第一号は彼らであろうと思われる」(p164)との記述があります。
また、p165-171に「曲芸師一座の渡航」という見出しの文章があり、「これが『海外行人名表』に記載された外国奉行発行の免許状第1号から27号までの曲芸一座である。」との記述があります。
なお、同書の「4 明治初期における海外渡航と旅券制度の確立」という章に明治初期の状況が書かれていますが、佐藤進氏についての記述は見当たりませんでした。
(3)
『幕末明治海外渡航者総覧 第1巻~第3巻』(手塚晃編 国立教育会館編 柏書房 1992)
によると、
・「隅田川浪五郎」は人物情報篇に掲載なし、
「渡航時期別索引」の1866(慶応2)年にもなし。
・「山田【いね】養・山田正之助」は2巻p447に掲載あり、
「顕著な業績」という項目に「海外渡航券第一号」と書かれています。
・「佐藤進」は1巻p425に掲載されていますが、渡航券に関する記述はありません。
(4)外務省ホームページの情報
外務省ホームページ内「外交史料 Q&A 幕末期」
(http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/qa/bakumatsu_01.html)
の上から15番目に、関連するQ&Aがあります。
「Question
1866年(慶応2年)に曲芸師の一行が海外に渡航したそうですが、このことを示す記録はありますか。
Answer
1866年、曲芸師(史料には「雑伎人」(ざつぎにん)と記されています)の一行が、幕府の外国奉行に対し米国渡航の許可を申請したことが、外交史料館が所蔵する幕末期の外交史料集(「続通信全覧」)からわかります。一行は米国人に雇われ、こま回し、手品などの巡業目的で渡航しました。また外務省記録「海外行人名表(旧政府ノ節免状申受者姓名調)」にも、一行に外国奉行が免許状(いわゆるパスポート)を発行したことを示す文書が残っています。」
また、外務省ホームページ内「外交史料館に聞いてみよう! 外交史料 Q&A〔平成18年4月~9月〕」(PDFファイル)
(http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/qa/pdfs/0612.pdf)
に、「幕末期 Question 2 日本の政府が発行した最初の旅券にはどのようなことが記載されていたのですか。」
があり、Answerに
「実際の旅券(印章)第1号は、慶應2年10月17日(1866年11月23日)付で江戸幕府の日本外国事務(外国奉行)が隅田川浪五郎(すみだがわ・なみごろう)に発給したものです。」等の記述があります。
※「外交史料館に聞いてみよう! 外交史料 Q&A」(http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/qa/)
のページで「平成18年12月号(PDF)」をクリックすると見られます。
(インターネットの最終アクセス:2011年2月11日)
- 回答プロセス
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関連レファレンス(レファレンス協同データベース 大阪市立中央図書館 2009年01月登録)
「明治初期、維新前のパスポートの写真が見たい。
また、当時の日本人の海外渡航状況がわかる資料がないか?」
(https://crd.ndl.go.jp/GENERAL/servlet/detail.reference?id=1000051074)
を参考に調べた。
- 事前調査事項
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質問者による事前調査済WEBサイト
・歴史公文書探究サイト『ぶん蔵』 (国立公文書館)「パスポート第1号」
(http://www.bunzo.jp/archives/entry/000572.html)
・学校法人順天堂>理事長室>トピックス『仁と不断前進をモットーに170年』
(http://www.juntendo.ac.jp/ac/president/pub02.html)
- NDC
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- 国際法 (329 9版)
- 観光事業 (689 9版)
- 参考資料
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- 『パスポートとビザの知識 新版』(春田哲吉著 有斐閣 1994 有斐閣選書) (9101548640)
- 『明治文化全集 別巻 明治事物起原』(明治文化研究会編 日本評論社 1969) (9102582914)
- 『幕末・明治のホテルと旅券』(大鹿武著 築地書館 1987) (9103650278)
- 『幕末明治海外渡航者総覧 第1巻』(手塚晃編 国立教育会館編 柏書房 1992) (9102893208)
- 『幕末明治海外渡航者総覧 第2巻』(手塚晃編 国立教育会館編 柏書房 1992) (9102893217)
- 『幕末明治海外渡航者総覧 第3巻』(手塚晃編 国立教育会館編 柏書房 1992) (9102893226)
- 外務省「外交史料 Q&A 幕末期」(http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/qa/bakumatsu_01.html)
- 「外交史料 Q&A〔平成18年4月~9月〕」(PDFファイル)(http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/qa/pdfs/0612.pdf)
- キーワード
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- パスポート
- 旅券
- 海外渡航
- 隅田川浪五郎
- 佐藤進
- 山田【いね】養
- 山田正之助
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000083446