レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2009年06月17日
- 登録日時
- 2010/12/03 17:02
- 更新日時
- 2011/03/23 09:11
- 管理番号
- 山形県-2009-0028
- 質問
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解決
庄内藩士戸田総十郎(とだそうじゅうろう)の明治9年庄内帰国後について知りたい。
- 回答
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当館所蔵の資料から、下記の資料をご紹介します。
資料① 松本十郎の生涯 P9~13,年譜 P14~15
資料② “蓑笠翁”の日々 P226~230,晩年の十郎 P245~267
資料③ 帰農武士 松本十郎 P105~120
資料④は、道民雑誌『クオリティ』に平成18年4月号から12月号に連載された作品を抜粋した資料です。第8回と最終回に晩年の松本十郎について記載されています。
資料⑤ 判官松本十郎翁を訪ねた青年記者原敬 P73~78
資料⑥ 人間松本十郎(平田亨/著) P2~17
資料①②③④に同様の写真が掲載されています。資料③には「大正2年8月75歳と記録されてある」と記されていました。
なお、当館ホームページ(http://www.lib.pref.yamagata.jp/)から、山形県関係文献目録人物編リストを開いていただき、「ま」行「松本十郎」に関係する資料が採録されていますのでご覧ください。また、項目編「は」行「北海道移住と山形県人」もあわせてご覧ください。
- 回答プロセス
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山形県立図書館ホームページ(http://www.lib.pref.yamagata.jp/)から、山形県関係文献目録人物編リスト「ま」行、「松本十郎」を表示し、採録している資料を中心に検索する。
松本十郎 天保10.8.18-大正5.11.27(1839-1916)
北海道開拓判官。鶴岡生れ。荘内藩物頭戸田文之助の長男。本名、戸田総十郎。明治元年に松本十郎と改めた。明治8年樺太と千島の交換にともない樺太アイヌの移住問題がおこり、明治9年7月辞職した。
下記の資料には、松本十郎に関する簡単な記述のみで、庄内に帰郷してからについては詳しく記されていなかった。
『らくがき庄内史 第10巻完結編』『維新前後に於ける荘内藩秘史』『鶴岡百年の人物 上』『鶴岡が生んだ人びと』『山形県史拓殖編』
- 事前調査事項
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戸田総十郎は、後に松本十郎と改名、明治2年開拓判官で北海道へ渡る。
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 農業経済・行政・経営 (611 9版)
- 参考資料
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- 資料①松本十郎 頌徳碑の栞/松本十郎を顕彰する会編/2001(K289/マツ)
- 資料②さらば・・・えぞ地 松本十郎伝/北国諒星/2010(289.1/マツ)
- 資料③百姓の系譜/真壁仁/1983(YK612.8/マカ)
- 資料④魂を燃焼し尽くした男 松本十郎/奥田静夫/2007(289/マツ)
- 資料⑤秋の蝶/原敬句碑保存会編/1964(Y289.1/ハラ)
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資料⑥酒田東高等学校研究紀要 3号/酒田東高等学校編/1977(KS051/サカ)
※( )は当館の請求記号です。
- キーワード
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- 松本十郎
- 戸田総十郎
- 北海道開拓
- 帰農
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000074710