レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2005/01/05
- 登録日時
- 2006/07/08 02:11
- 更新日時
- 2008/04/04 14:35
- 管理番号
- 埼熊-2005-111
- 質問
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解決
荻原重秀が勘定奉行だった頃の勘定奉行所はどこにあったのか知りたい。
- 回答
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本丸殿中にある御殿勘定所と大手門横の下勘定所の二か所に分かれる。
- 回答プロセス
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『国史大辞典 3』〈勘定所〉の項によると、御殿勘定所には御殿詰と勝手方のみがあり、勘定奉行・勘定吟味役は奥の間に詰め、職員の多くは下勘定所に勤務した。
いつから二つに分かれたのかは不明だが、『江戸幕府財政史論』(大野瑞男)では、「恐らく寛文ごろからは大手門内にも勘定所が存在したものと考えられる」とあり。寛文年間は、西暦1661-1672年。荻原重秀が勘定奉行の職にあったのは元禄9(1696)年4月11日から正徳2(1712)年9月11日なので、当時は既に二つに分かれていたと考えられる。
他に参照した資料は、以下のとおり。
『江戸時代の制度事典』『江戸時代用語考証事典』『江戸幕府勘定所史料』『江戸東京学事典』『時代考証事典』『古事類苑 17 官位部3』
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 財政史.事情 (342 9版)
- 行政 (317 9版)
- 参考資料
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- 『国史大辞典 3』
- 『江戸幕府財政史論』(吉川弘文館 1996)
- キーワード
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- 日本-歴史-江戸時代
- 勘定所-江戸幕府
- 荻原 重秀(オギワラ シゲヒデ)
- 財政史
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000029446