レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016/12/29
- 登録日時
- 2017/05/18 00:30
- 更新日時
- 2017/05/18 00:30
- 管理番号
- D161212203540
- 質問
-
解決
「モダン日本社」という出版社が1930代~1940年代に発行した雑誌「モダン日本」とさまざまな図書について調査しているが、1号あたり、あるいはタイトルあたりの部数を調べることは可能か。
なお、「モダン日本社」に関する情報は、ほとんど見つかっていない。
- 回答
-
戦前日本における出版物の部数の調べ方一般と、雑誌『モダン日本』の出版部数について調べました。
A.部数の調べ方一般
ご参照の通り、下記の当館調べ方案内に列挙されたツールの採録期間から外れるような場合、報道などで言及されるか、広告などで出版者自身が宣伝文に使う以外は通常判らないようです。
1)当館リサーチナビ>調べ方案内>出版・ジャーナリズム・図書館情報学>出版>発行部数(戦前 タイトルごと)
https://rnavi.ndl.go.jp/research_guide/entry/post-137.php
また、次の概説によると出版社が宣伝として発表する「自称部数」(戦後は「公称部数」と言い換えられたようです)と、実際の部数は必ずしも一致しないようです。
2)小林昌樹「戦前における発行部数調査の歴史」『雑誌新聞発行部数事典:昭和戦前期 附 発禁本部数総覧』小林昌樹編 金沢文圃閣 2011【UE2-J2】pp.417-441
B.雑誌『モダン日本』の出版部数
1)の「雑誌の部数」で紹介されているとおり、採録年代と当該雑誌の発行年代が一致する次の文献を参照しました。
3)『広告年鑑〔複製版〕』万年社編 御茶の水書房 1984-1985 大正14年~昭和18年の複製【Z41-5437】※昭和5年版から昭和8年版までを確認
4)『雑誌新聞発行部数事典:昭和戦前期 附 発禁本部数総覧』小林昌樹編
金沢文圃閣 2011【UE2-J2】※文献2の本体部分、p.246。
「モダン日本 8巻8号 新雑1937年7月1日 53,800部」
「モダン日本 10巻8号 新雑1939年8月1日 50,800部」
3)には『モダン日本』の項目自体がありませんでした。4)から、1号あたり5万部以上の発行部数があったことが判明しました。
さらに、『モダン日本』についての研究をひととおり参照しました。その多くは部数についての言及を欠いていましたが、つぎの文献には記載がありました。
5)張 ユリ『1930年代の帝国日本におけるモダニズムの諸様相:空間・メディア・植民地』 名古屋大学 2015 甲第10901号
※博士論文。4)の数値を転記しています(p.56)。
6)張 ユリ「雑誌『モダン日本』が構築した「モダン」:雑誌のブランド化と読者戦略」『文学・語学』(211) pp.32-46(2014.12)
※ほぼ5)の第3章にあたります。
7) 洪 善英「雑誌「モダン日本」と「朝鮮版」の組み合わせ、その齟齬 (植民地朝鮮と帝国日本--民族・都市・文化)--(メディアと政治)」『アジア遊学』(138) pp.55-65 (2010.12)
※「一九三九年十一月朝鮮特集を組み臨時増刊号を出したのである。当時の記事によれば、この朝鮮版は大きな反響を呼んだようである。朝鮮のハングル新聞「毎日申報」〔1939.12.2〕は「三十万部」が売切れたと伝えている」(p.58) 7)は「臨時大増刊特別号」である「朝鮮版」についての報道なので4)の部数と大きく隔たっているのかもしれません。
8) 池田浩士 責任編集『<大衆>の登場:ヒーローと読者の20~30年代』 インパクト出版会;イザラ 書房 (発売) 1998【KG319-G3】
※川村湊「馬海松とモダン日本」(pp.120-133)の部分。典拠は不明ですが、「十万部を超えるといわれた一般の日本人 向けの雑誌で」(p.120)とあります。
他にも次の文献、サイトなども参照しましたが、部数についての記述は見当たりませんでした。
●同時代資料
・『モダン日本』 国立国会図書館 (製作) 1999 マイクロフィッシュ 274枚;【YA5-1044】 ※次の号の編集後記の部分を参照。Vol.1 no.1、vol.3 no.1、vol.13 no.12。
・ヨミダス歴史館 (読売新聞)当館契約データベース(館内限定) ※『モダン日本』の広告をアトランダムにいくつか参照。「売切れ」という表記はありましたが(例:1931.1.7)部数の数値は見当たりませんでした。
・ 『菊池寛全集』 第24巻 高松市菊池寛記念館, 1995【KH261-E4】 ※「文芸春秋」編輯記文集の『モダン日本』が文芸春秋社直営だった時期のみ参照。 『モダン日本』が赤字であるという趣旨は散見されましたが発行部数についての記述は見当たりませんでした。
・国立公文書館デジタルアーカイブ (https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/detail)
後継雑誌『新太陽』の部数が判明しないか次の史料を参照しました。
『雑誌整備』内閣情報局第二部出版課 [請求番号]返青15003000
『雑誌指導資料』内閣情報局 [請求番号]返青13008000
『第三課所管雑誌一覧表』日本出版会雑誌部第三課 昭和19年08月 [請求番号]返青20007000
●後世の研究文献・回想
・天野敬太郎 編纂、深井人詩 補訂『雑誌新聞文献事典』金沢文圃閣 1999【UP54-G9】
・天野敬太郎、深井人詩 共編『日本雑誌総目次要覧』日外アソシエーツ 1985- 【UP54-25】ほか ※総目次には多くの場合、解題が付いています。
・個人サイト「奈落の井戸」>「モダン日本」(昭和5年)総目次
https://web.archive.org/web/20161102082719/http://homepage1.nifty.com/mole-uni/mag_index/modurn-nihon.html
・ 稲岡勝 監修 日外アソシエーツ株式会社 編集『出版文化人物事典』 日外アソシエーツ;紀伊國屋 書店 (発売) 2013.【UE2-L1】 ※出版社・団体名索引から関係人物の項目を参照し、その末尾にある「【参考】」欄にある関係文献を見ました。索引には出ませんが、大草実(=嵯峨信之)も関係者のようです。保昌正夫『牧野英二』 (エディトリアルデザイン研究所 1997)、栗原澪子 『黄金の砂の舞い:嵯峨さんに聞く』(七月堂 1999)は「【参考】」欄に表示されているものですが、当館に所蔵がないため確認で きませんでした。
・木本至 著『雑誌で読む戦後史』新潮社 1985【UM84-58】 ※「モダン日本」(pp.77-80)の部分。
・盛合尊至「馬海松と『モダン日本』戦前日本における朝鮮文化の紹介」『国際文化研究』(5)pp.109-122(1998.12)【Z8-B331】
・安福智行「『モダン日本』から見た太宰治『姥捨』について」『京都語文』(5) pp.226-235(2000.3)【Z13-B710】
・舘野 晰 「海外出版レポート 韓国 『モダン日本・朝鮮版』『宮廷外の歴史』」 『出版ニュース』(2107)p.32(2007.5)【Z21-164】
・舘野 晰「海外出版レポート 韓国 『モダン日本』(1940年復刻版)について 」『出版ニュース』(2178)p.28(2009.6)【Z21-164】
・山田 安仁花「『モダン日本・朝鮮版』出版の背景をめぐって」『異文化コミュニケーション論集』(14)pp.55-67(2016)【Z71-K11】
・鈴木 貞美「文献渉猟-9-井伏鱒二、「モダン日本」その他」『国文学 解釈と教材の研究』33(8)pp.162-165(1988.7)【Z13-334】
・紅野敏郎「雑誌探究(1930年)「漫談」「モダン日本」「新早稲田文学」」『資料と研究』(5)pp.59-89(2000.1)【Z13-B583】
・韓日比較文化研究センター 編『モダン日本』復刻版 オークラ情報サービス 2007-2009 【Z79-B366】※解題の部分のみ通覧。
・須貝正義 著『大仏次郎と「苦楽」の時代』紅書房 1992【UM84-E27】
※【 】内は当館請求記号です。
※書誌末尾「※」と引用文中の「〔 〕」は、担当による補記です。
※ウェブサイトの最終アクセス日は2016年12月22日です。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000216232