レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年09月11日
- 登録日時
- 2014/01/07 15:51
- 更新日時
- 2014/02/24 11:04
- 管理番号
- 中央-1-00668
- 質問
-
解決
今川焼はいつどこで誰が考案したか知りたい。
- 回答
-
今川焼は、江戸中期の安永年間(1772~80)頃から、神田の今川橋辺りで売り出され、1777(安永6)年に出た『富貴地座位』という資料の中に、「本所の今川焼き那須屋弥平」と店の名前が記されており、神田三河町1丁目と両国回向院前に出店があったようだ。
このことについては、次の資料に書かれている。
・『たべもの起源事典』岡田 哲/編 東京堂出版 2003
p.51 いまがわやき(今川焼き)
・『事典和菓子の世界』中山 圭子/著 岩波書店 2006
p.20 今川焼 いまがわやき
考案者や元祖について書かれている資料は見つからず。
- 回答プロセス
-
・百科事典類(『日本大百科全書』、『平凡社大百科事典』、『世界大百科事典』)を見てみたが、詳しい情報は載っていなかった。
・ジャパンナレッジで検索 “今川焼”
「デジタル大辞泉」→江戸神田今川橋辺りで売り出されたという、とあり。
「日本国語大辞典」→評判記の『富貴地座位』[1777年]中「今川やき那須や彌平本所」、とあり。
・請求記号 383.81の書架を見る。
『たべもの起源事典』(岡田 哲/編、東京堂出版、2003)p.51、『事典和菓子の世界』(中山 圭子/著、岩波書店、2006)p.20より、江戸中期の安永年間(1772~1780)から、神田の今川橋のもとで売られた。考案者や元祖の店名も不明だが、本所(現墨田区)にあった今川焼き那須屋弥平という店が1777年に出店していたようであることがわかった。
上の『たべもの起源事典』(岡田 哲/編、東京堂出版、2003)に、「三都評判記の『富貴地座位』1777(安永6)年に「今川焼き那須屋弥平、本所」とあり。神田三河町一丁目と両国回向院前に出店があったらしい。
・googleブックスで“今川焼”検索
『「食のルーツ」なるほど面白事典』日本雑学倶楽部 PHP研究所 2008
江戸時代中期の安永年間(1772~81年)のころ、江戸の神田・今川橋付近で売り出されたことから「今川焼き」と名づけられた。1777(安永6)年刊の『富貴地座位』のなかには、「本所の那須屋弥平」という店名が記されている、と記載あり(記載ページは不明)。
・起源事典を見る
『事物起源辞典 衣食住編』 朝倉 治彦/編 東京堂出版 2001
p.25 今川焼
名称は江戸神田今川橋辺の店で製しはじめたのによるという。
天明七年刊本『七十五日』に
江戸一流 椿餅
今川焼
花まんちう
両国回向院前出店 那須屋
神田三河町一丁目 とあり。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 衣食住の習俗 (383 9版)
- 参考資料
- キーワード
-
- 今川焼
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000143045