レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015年01月07日
- 登録日時
- 2021/07/25 16:31
- 更新日時
- 2021/07/30 15:59
- 管理番号
- 0011
- 質問
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「守山」の地名の由来について、比叡山延暦寺を守るという意味だと聞くがそのことについて書かれた本はあるか
- 回答
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市のホームページによれば「地名の由来は不明。東門院が比叡山の東方にあたり、「守山寺」の寺号を持つことを起源とする伝承もある。」とのこと。
『もりやまの町の由来』にも根拠は不明とあり、『滋賀県の地名』『角川日本地名大辞典』にも古今集、紀貫之の歌「しらつゆも時雨もいたくもる山はしたばのこらず色づけにけり」は載るが由来についての記述はない。
東門院のホームページや『滋賀県百科事典』の東門院の項によれば794年または795年に桓武天皇より守山寺の寺号を与えられたとされる。
『中仙道守山宿』P9~によると、
「守山という地名の起こりは、東門院である。命名者は桓武天皇」
「最澄は比叡山寺建立の後、空海と共に入唐したが、帰国後、叡山に天台宗を開いた。その時、桓武天皇は湖水をお渡りになって東門に御幸され、こう宣らせられた。
―我山(比叡山)を守護し奉る所なれば、地を守山、寺は「守山寺東門院」と号すべし―と。」
『守山市史 上巻』には創立について比叡山の東門説と坂上田村麿伝説の二説あるが史料が明らかでないとある。
『守山市史 下巻』の口碑伝承の項目に掲載の守山寺の縁起には「延暦四乙丑(785)年僧最澄比叡山を開闢し門を四方に構ふ、其東門は即ち此地なり故に守山と号す。一に曰く桓武天皇叡山建立の時此地に幸し寺院に入り詔して曰く此地是叡山を守るを以て守山と号し寺を守山寺と称すべし云々。」
『守山市誌 地理編』の「守山の地名」(執筆者、内田秀雄)の項にも上記の典拠が掲載されるが「(略)より高い丘陵地帯が都賀山と呼ばれました。(中略)このような所に、山部の山守を定めたのだと思います。この山守のいるところが、守山となったようです。」と見解が述べられている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 近畿地方 (216)
- 参考資料
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- 『もりやまの町の由来』守山市文化財保護課,守山市,2014(M291.6)
- 『滋賀県の地名』平凡社,1991(S291.6)
- 『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』角川日本地名大辞典編纂委員会,角川書店,1979(S291)
- 『滋賀県百科事典』滋賀県百科事典刊行会,大和書房,1984(S031)
- 『守山市史 上巻』守山市史編纂委員会,守山市,1974(M216)
- 『守山市史 下巻』守山市史編纂委員会,守山市,1974(M216)
- 『守山市誌 地理編』守山市史編さん委員会,守山市,2001(M290)
- キーワード
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- 滋賀県
- 守山市
- 地名
- 由来
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000302186