レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014年03月15日
- 登録日時
- 2014/03/17 15:31
- 更新日時
- 2014/03/24 11:36
- 管理番号
- 2009-0132
- 質問
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解決
現在、中世の人文地理について、調査研究をしている。古代官道に「玉野駅」または「大室駅」が現在の尾花沢市にあった。その「玉野」の地名について調べている。「玉野」に関する参考文献がありましたら教えてほしい。
- 回答
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「玉野」に関する参考文献について、次の資料を紹介します。
・資料①『尾花沢市史 上巻』に次の記述がありました。
ⅰ「第三章 出羽の開拓と尾花沢地方」の中の「第ニ節 古代の官道」に大野東人と玉野新道についての記述(P145~152)
ⅱ「第五章 古代中世の宗教文化」の中の「第一節 山岳信仰と修験」に古代玉野の神々についての記述(P228~234)
ⅲ「第十章 街道と宿駅」の中の「第二節 脇街道の発達」に仙台街道軽井沢越についての記述(P601~612)
・資料②『尾花沢市史の研究』(横山昭男編)
「第二章 出羽の開拓と尾花沢地方」中「(古代の交通路)」に、玉野新道開削についての記述があります(P33~36)。
・資料③『復刻 玉野村史』
この資料の「緒言」に、「本書は和銅年間出羽国建置より、大正年間の終わりまで1224年間の本村史料を蒐録し、玉野新道を経とし銀山温泉史を緯とし、其れに本村の史実を織り込みて編纂した」とあります。
・資料④『山形県史 第一巻 原始・古代・中世編』
「第六章 律令国家と出羽国」の中の「第三節 山道と水道」に陸奥出羽連絡路の開設についての記述があります(P342~348)。
上記、資料①~資料④は貸出可能な資料です。
・資料⑤『角川日本地名大辞典 6 山形県』
ⅰ「地名編」(P491)には、「玉野駅」(古代)、「玉野村」(近代)の項目があります。
ⅱ「地誌編」(P869~876)には、尾花沢市の沿革および現行地名の解説が記載されています。
・資料⑥『山形県大百科事典』(山形放送編)
このP602に、「玉野 尾花沢盆地東部。 (略) 737年(天平9)大野東人によって陸奥国色麻柵から出羽国最上郡玉野まで80里の道路を開き玉野駅が置かれたとあるところから古い地名をとったという。(略) 」とあります。
・資料⑦『縄紋 三輯』
長井政太郎氏はこの雑誌中「山形県内の石製模造品」と題する論文の中で、大野東人の開削した玉野新道は、峯づたいの道であることなどから軽井沢越である旨論じています(P1~7)。
・資料⑧『羽陽文化 第143号』
奥山譽男氏はこの雑誌中「出羽最上郡玉野の二つの大室駅・塞-文献史料にみる西原堀の内・岳遺跡-」と題する論文の中で、玉野新道は地形や里程から寒風沢越(出羽峠越)とする説を掲載しています(P61~71)。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 東北地方 (212 9版)
- 参考資料
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- 資料①尾花沢市史 上巻/尾花沢市史編纂委員会編/2005(k261.3/オバ/1)
- 資料②尾花沢市史の研究/横山昭男編/1960(Yk261.3/ヨコ)
- 資料③復刊玉野村史/鈴木勇三郎/2000(k261.3/タマ)
- 資料④山形県史 通史編 第1巻/山形県編/1982(k209/ヤマ/1)
- 資料⑤角川日本地名大辞典 6/角川日本地名大辞典編纂委員会編/1981(k290.3/カド)
- 資料⑥山形県大百科事典/山形放送編/1983(k290.3/ヤマ)
- 資料⑦縄紋 第三輯/田原眞稔等編/1949(ks210/ジョ/:194903)
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資料⑧羽陽文化/山形県文化財保護協会/1999(ks709/ウヨ/:199903)
※( )は当館の請求記号です。
- キーワード
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- 古代官道 玉野駅
- 玉野新道
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000150700