レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年11月09日
- 登録日時
- 2023/05/14 14:34
- 更新日時
- 2023/05/14 14:34
- 管理番号
- 9000037488
- 質問
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解決
山梨県出身で、アメリカ・サンフランシスコで発行されていた日本語新聞「新世界」の主筆だったという「二宮屏岩」について知りたい。
- 回答
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「二宮屏岩」は、正しくは「二宮屏巌」で「ニノミヤ ヘイガン」と読む。本名は「二宮利作(ニノミヤ リサク)」。
1875(明治8)年生 山梨県西八代郡共和村出身
1897(明治30)年4月、1898(明治31)年4月に山梨教育会常議員に選出
1902(明治35)年12月渡米
1903(明治36)年7月より桑港新世界新聞に入り、主筆となる。号を屏巌とする。
公共事業にも力を尽くし、桑港日本人会会長も務めたこともある。大阪毎日新聞社、東京日々新聞社の米国特置員としても活動した。
1932(昭和7)年没。享年58歳。
1932(昭和7)年11月4日の「日布時事」によると、過去数か月間肝臓硬化症によりスタンフォード大学病院にて加療中だったが10月25日に永眠。遺族はきみ子夫人と二男二女。10月28日新世界社社葬として桑港仏教会にて執り行われたとある。在米邦字新聞記者の大元老で新世界紙上に在米邦人指導的見識を含めた論文を書き、時に屏巌の署名で古事を語り時事を談じ、一種風格のある文であった。性格は円満で趣味広く話題豊富とある。
『日系移民人名辞典 北米編 第1巻』(日本図書センター 1993)によると、住所は、1773 Sutter St., San Francisco, Cal.となっている。
・著作の『米国海関税解説及貿易案内』、『母国へ(在米日本人叢書第1巻)』ー故国官民と米国ー、「東方持論5(5)」ー健忘性排日問題を逸すー が国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧できる。
・山梨日日新聞の1926(大正15)年8月11日(水)~8月17日(火)に「遠い米国から故郷山梨のために云ひたい 海外を知ることが肝要 在米 二宮利作」の連載記事がある。
・邦字新聞デジタル・コレクションで、二宮利作関連記事や新聞「新世界」の紙面を閲覧することができる。
- 回答プロセス
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(1) 人名辞典類で調べる
秋山高太郎(明治11~大正11)と同時代の人であることから『大正人名辞典』(日本図書センター)を見るが、掲載なし。
(2) 『山梨百科事典』(山梨日日新聞社/編集 山梨日日新聞社 1989)〈資料番号0102028446〉には、「二宮屏岩」の項目なし。
(3) インターネットで「二宮屏岩」で検索すると、「大日本農会報605」(1931-4) p.105に記事「海外通信 二宮屏巌」がヒット。
「二宮屏巌」で再度検索。
国立国会図書館デジタルコレクションに『米国海関税解説及貿易案内』(二宮屏巌 (利作) , 若林要 編 弘文堂書店 明治45.3.1)あり。
読みは「ニノミヤ,ヘイガン」「ニノミヤ,リサク」奥付に「山梨県西八代郡共和村三百五十四番地」とあり。
(4) 移民関係の人名事典類で調べる。
『日系移民人名辞典<北米編>第1巻』(日本図書センター 1993)で調べる。P.448に「二宮利作」あり。「山梨県西八代郡共和村 1902年渡米、同3年7月より桑港新世界新聞に筆を執り以来主筆として今日に及ぶ、(号、屏巌)在米生活約廿ケ年公共事業に関係せる事少なからず、大阪毎日新聞社、東京日々新聞社の米国特置員を兼ぬ」
『在米日本人々名辞典』(日米新聞社/編 日米新聞社 1922)P.448にも同様の記述あり。
(5) 「共和村」は下部町にあったので、『下部町誌』(下部町誌編纂委員会/編 下部町 1981)〈資料番号0101925477〉を確認するが、記述なし。
(6) 「国立国会図書館サーチ」で検索
「二宮利作」(ニノミヤ,リサク)検索。著書『面白い桑港』(二宮利作/ 著 小野五車堂書肆 1912)あり。
(7) インターネットで「二宮利作」を検索
「新世界」昭和6.7.21 「火老母の臨終に當面し(一)二宮利作」
「新世界朝日新聞」昭和12.5.7金673号「二宮夫人帰米 故二宮利作氏の夫人君子さんは来る11日当地入港の龍田丸で家族同伴帰米する」
(8) 新聞データベースで調べるが、記述なし。
【後日調査】
(9) 山梨日日新聞社データベース部に照会
「山梨日日新聞」掲載の記事がヒットした。
1898(明治31)年4月19日(火)2面 山梨教育会 常議員に選出された
1926(大正15)年8月11日(水)~8月17日(火) 連載「遠い米国から故郷 山梨のために云ひたい 海外を知ることが肝要 米国 二宮利作」
(10) 『紀元二千六百年記念山梨県教育会史』(山梨県教育会/編 山梨県教育会 1941)を見る。
p.354明治30年5月と明治31年4月に教育会の常議員に選出されている。
(11) 新聞・ジャーナリズム関係の図書をみる。
『明治大正言論資料 20 明治新聞雑誌関係者略伝』(みすず書房 1985)p.186に掲載あり。「明治八年生、昭和七年一〇月二五日歿。五八歳。(一八七五~一九三二)桑港で発行していた『新日本』の主筆。」
(12) 「邦字新聞デジタル・コレクション」(スタンフォード大学フーヴァー研究所 https://hojishinbun.hoover.org/?l=ja ※2023.1.17確認)で検索
「二宮利作」で検索すると複数記事がヒットする。
・「新世界」1931(昭和6)年7月21日(3)「一番上のボーイ利雄(十五歳)、倫子十二歳、登美子十歳」
・「新世界」1931(昭和6)年7月27日(3)「老母臨終に当面し(七)76歳の母」
・「日米新聞」1932(昭和7)年4月14日(3)「母高島つる子 死後一年 単行本「他力本願と母の信仰」を発行」
・「日布時事」1932(昭和7)年11月4日5面に「桑港新世界新聞主筆屏巌二宮利作氏永眠」の記事あり。10月25日永眠。享年59歳。遺族はきみ子夫人二男二女がある。10月28日桑港仏教会にて新世界社社葬が執行された。山梨県西八代郡共和村の出身で1902年渡米。1903年桑港新世界に入り主筆として今日に及んだ。などの記述がある。
・「日米新聞」1932(昭和7)年12月9日(4)「二宮利作氏四十九日法要」
(13) 移民に関する資料を見る
『米国日系人百年史 在米日系人発展人士録』(新日米新聞社 1961)p.174「桑港新聞」の項に「二宮利作(屏巌)は主筆として活動したが、二年後の一九一二年遂に廃刊し、桑港は二新聞の旧に復した」とあり。
p.186~の「在米邦人既刊本」の項に名前がある。「パナマ博覧会案内記 一九一五 二宮屏巌」「面白い桑港 一九一五 二宮利作」「他力本願と母の信仰 一九二九 二宮屏巌」
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 10版)
- 参考資料
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日系移民人名辞典 : 北米編 第1巻. 日本図書センター, 1993.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002232521-00 , ISBN 482052271X (p.448) -
山梨県教育会/編 , 山梨県教育会. 紀元二千六百年記念山梨県教育会史. 山梨県教育会, 1941.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005544036-00 (p.354) - 山梨日日新聞 1898年4月19日 (2面)
- 山梨日日新聞 1926年8月11日~8月17日 (いずれも2面)
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明治大正言論資料 20. みすず書房, 1985.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001775002-00 , ISBN 4622009501 (p.186) -
日米新聞社/編 , 日米新聞社. 在米日本人々名辞典. 日米新聞社, 1922.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005653807-00 (p.448) -
新日米新聞社. 米国日系人百年史 : 在米日系人発展人士録. 新日米新聞社, 1961.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001104793-00 (pp.172-176、187-189)
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日系移民人名辞典 : 北米編 第1巻. 日本図書センター, 1993.
- キーワード
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- 二宮屏巌
- 二宮利作
- 「新世界」
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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「米国海関税解説及貿易案内(国立国会図書館デジタルコレクション)」
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/804416
「邦字新聞デジタル・コレクション(スタンフォード大学フーヴァー研究所)」
https://hojishinbun.hoover.org/?l=ja
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000333134