レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年10月7日
- 登録日時
- 2022/11/05 17:57
- 更新日時
- 2022/11/17 21:31
- 管理番号
- 県立長野-22-130
- 質問
-
未解決
水内郡入山村(現・長野市)の資料に、「トギ坂の館主」もしくは、保坂氏に関するものはあるか。『中蒲原郡誌』にある保坂小左衛門を調べている。同書に「元信州トギ坂の館主なりしが、甲越合戦の際謙信の不審を受け、久しく横川浜および大別当に籠居したり」「官営十二年三月朔日没す」とある。
- 回答
-
入山村に関する資料に、「トギ坂の館主」もしくは、保坂氏について記されたものは確認できなかった。
芋井郷については、『長野市誌 第8巻旧市町村編』長野市誌編さん委員会編 長野市 1997【N212/318/8】p.751-794にまとめられている。このうち、芋井地区の要図がp.753にあり、p.761-763には城館跡の記述がある。
『長野県上水内郡誌 歴史編』上水内郡誌編集会編・刊 1976【N212/93/2】p.635-367に、この地域の城・館の一覧表があり、芋井地区については、旧・鑪村葛山の「葛山城(山城)」、旧・広瀬村の「落合氏館(広瀬屋敷)」が記載されているのみ。
旧・入山村について、詳しくは『長野県町村誌 北信編』 長野県編 名著出版 1973 (長野県町村誌刊行会 1936 の復刻)【N290/33a/1】p.143-151に記載があり、明治初期の村の様子がわかるものとなっている。旧跡、小字など詳細に記載されているが、トギ坂に類する記述は確認できない。この資料はNPO長野県図書館等協働機構が「信州地域史料アーカイブ」としてインターネット公開している。「長野県町村誌・村絵図、古跡名称絵図等」から検索することもできる。入山村については、185-193コマにあたる。
保坂氏については、『長野県歴史人物大事典』神津良子編 郷土出版社 1989 【N288/】、『長野県姓氏人物大辞典』 同辞典編纂委員会編 角川書店【N288/158】などの長野県に関する人物事典に、入山村に関係する保坂姓の人物の記載はなかった。
長野県内に関する主だった古文書類を年代順に掲載した『信濃史料』の索引を調べると、「保坂」で該当する人物は、
保坂中務丞
保坂七兵衛
穂坂常陸介
の3名。それぞれ該当する巻を見ていったが、入山村と関係のある人物ではないと思われた。
<保坂中務丞>
『信濃史料 第12巻』 信濃史料刊行会編・刊 1968 【N208/28a/12】 p.239-
永禄二年三月二〇日(1559) 是より先、武田晴信、大日方山城守等諸士・商人等に分国内往還の
諸役を免除す、是日、晴信、重ねて之を安堵せしむ、
として、一連の事項が箇条書きされている中に、p.244
信刕之内一月馬弐疋分商之諸役令免許者也、仍如件、
永禄元年戍午 奏者 小山田備中守
拾一月三日 上原之
保坂中務丞
とあった。
<保坂七兵衛>
『信濃史料 第27巻』 信濃史料刊行会編・刊 1970 【N208/28a/27】p.473
寛永一六年八月一日(1639)幕府代官設楽能業の手代保坂七兵衛等、佐久郡本新町村より、寛永十
四年分年貢売付金を請取る、尋いで、また請取る、
として、「市川文書」の翻刻がある。
また、p.550-551に
寛永一六年一二月二日(1639)幕府代官設楽能業の手代保坂七兵衛等、佐久郡原村の前年分年貢を
皆済せるを証す、尋いで、同郡本新町村の前年分年貢を皆済せるを証す
として、「市川文書」の翻刻がある。
『信濃史料 第28巻』 信濃史料刊行会編・刊 1970 【N208/28a/28】p.42-43
寛永一七年一二月一八日(1640)幕府代官設楽能業の手代保坂七兵衛等、佐久郡本新町村より、本
年年貢を請取る
として、「市川文書」の翻刻がある。
<穂坂常陸介>
保坂と文字は異なるが、穂坂氏の記述があったので紹介した。
『信濃史料 第15巻』 信濃史料刊行会編・刊 1969 【N208/28a/15】p.273-274
天正一〇年七月三日(1582) 徳川家康、有泉信閑等を甲府に遣はし、信濃の計策を致さしむ
として、家康が有泉信閑、穴山衆、穂坂常陸介にあてた文書が翻刻されている。
また、入山村については、村の文書が多く、トギ坂、および館主に関する記述があるものは確認できなかった。
『信濃史料 第30巻』 信濃史料刊行会編・刊 1969 【N208/28a/30】p.638-640
寛永一一年一二月三〇日(1634) 真田信之、河浦三右衛門尉・同彦作をして、水内郡鬼無里村等
八箇村の麻の売買を取締らしむ、 信之の河浦彦作宛朱印状
として、「河浦文書」の翻刻がある。
長野県立歴史館が「水内郡入山村文書」を所蔵している。この目録が、『長野県立歴史館収蔵文書目録5』長野県立歴史館編・刊 2006 【N208/63/5】p.95-102にある。多くは、江戸期のもので、出所、宛名、史料名から、問い合わせの内容と関係すると判断できるものはなかった。実際の史料は長野県立歴史館で閲覧できる。詳しくは、同館へ問い合わせるよう勧めた。
- 回答プロセス
-
1 長野県に関する主な地名辞典、『角川日本地名大辞典20 長野県』 角川書店編・刊 1990 【291.03/カド/20】p.173-174, 177-179、『長野県の地名』 平凡社 1979 【291.03/ニホ/20】p.54-55などで、水内郡入山村に関する資料を調査したが、「トギ坂」に関する記述は確認できなかった。
2 入山村は古くから芋井郷の一部として古記録に名前がみられる地域のため、地域の区誌である『芋井区誌』[芋井地区住民自治協議会]編・刊 [2016]【N212/554】、『長野市芋井地区歴史年表』芋井の歴史年表改訂委員会編 芋井の歴史を学ぶ会 2018 【N212/595】、および、以下に挙げる『長野市誌』などを調べたが、芋井郷にも「トギ坂」もしくはそれに近い漢字の地名は確認できなかった。
城館に類するものは、水内郡芋井郷には桂山城、広瀬氏居館、立屋城、仁科氏屋敷跡などが見られたが、芋井郷の中の入山には城館を確認できなかった。
3 芋井郷について、『長野市誌 第8巻旧市町村編』『長野県上水内郡誌 歴史編』を調べる。
4 旧・入山村について、『長野県町村誌 北信編』を調べる。
5 長野県内に関する主だった古文書類を年代順に掲載した資料に『信濃史料』があり、江戸時代初期までを収録している。この資料の索引で「入山村」を調べると、
入山郷 第12巻 p.19
入山 第14巻 p.237,259
第29巻 p.573
第30巻 p.639
入山村 第19巻 p.482
第22巻 p.592
があり、それぞれ確認したが、諏訪大社の造宮帳、検地打立帳、知行目録、麻の売買取り締まり、領地安堵の書状などに「入山」の文字が見えるもので、依頼に関するものではなかった。
6 『長野県歴史人物大事典』『長野県姓氏人物大辞典』などの長野県に関する人物事典を調べたが、入山村に関係する保坂姓の人物の掲載はなかった。
7 『信濃史料』の索引で、「保坂」を調べる。
8 長野県立歴史館の所蔵文書を「入山村」で調べる。
<調査資料>
・『信濃史料 索引』 信濃史料刊行会編・刊 1972 【N208/28a/31】
・『長野市誌 第2巻 歴史編 原史・古代・中世』 長野市誌編さん委員会編 長野市 2000【N212/318/2】
・『上水内郡及長野市旧町村誌 第4巻』上水内教育部会編・刊 1934 【N212/9/4】
・『信濃史料叢書 中巻』 信濃史料編纂会編 歴史図書社 1969 【N208/60/2】
・『新編信濃史料叢書 第21巻』信濃史料刊行会編・刊 1988 【N208/43/21】
「善光寺道名所図会 巻三」
・『信濃古武士』丸山楽雲著・刊 2009 【N288/236】
・『よくわかる長野県の名字』森岡浩著 しなのき書房 2008 【N288.1/モヒ】
- 事前調査事項
-
『中蒲原郡誌』
- NDC
-
- 中部地方 (215 10版)
- 系譜.家史.皇室 (288 10版)
- 参考資料
- キーワード
-
- 入山村
- 芋井郷
- 長野市芋井
- 城館
- トギ坂
- 保坂氏
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物 地名
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000323575