レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年09月24日
- 登録日時
- 2022/08/23 15:24
- 更新日時
- 2022/11/01 15:40
- 管理番号
- 京歴-639
- 質問
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現在でも京都に残っている皇族、公家はいるか。
また明治維新に際し、東京に移らず京都に残った地下家(地下官人)はどのくらいの数いたかを知りたい。
- 回答
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【皇族について】
『平成新修旧華族家系大成,上巻』(①;pp.14-52)によると、平成6(1994)年の時点で当主の住所が京都に置かれていた皇族(旧皇族含む)はいない。
なお別邸や、当主以外の家族の住所まで本書には載っていない。
【公家について】
『京都に残った公家たち:華族の近代』(②)収載の「京都に残った公家華族(表5)」(p.46)により、明治9(1876)年当時京都に残っていた公家56家を知ることができる。
同じく「公家華族の貫属替(表6)」(p.49)には、明治8~同10年の間に東京から京都府に移った家が掲載されている。
この2表に記載の各家を①で調べると、その当主の住所が京都にあるかどうかを確認することができる。
【地下家(※)について】
『明治維新と京都 : 公家社会の解体』(⑤)は、明治維新当時1,500余戸あった官家士族のうち約1,000戸が京都に残ったと記載している(p.137)。
(残る500戸の内訳は、在東京が300戸、各地散在が200戸。)
※地下家とは、昇殿が許されていなかった公家の総称。対して、殿上が許されていた位階の高い公家を堂上家(とうしょうけ:どうじょうけ)と呼ぶ。
- 回答プロセス
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華族に関する事典として資料①を確認した。
また過去に当館で受けたレファレンス記録から、幕末の公家について調べた未公開の類例を参照し、そこに記録されていた資料②を調べた。
さらに旧華族の交流施設である霞会館の資料③、資料④を確認したが、京都に残った皇族や公家に関する情報は記載されていなかった。
- 事前調査事項
- NDC
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- 近畿地方 (216 10版)
- 系譜.家史.皇室 (288 10版)
- 社会学 (361 10版)
- 参考資料
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- ①『平成新修旧華族家系大成,上巻』霞会館華族家系大成編輯委員会編纂 霞会館, 吉川弘文館 (発売) (当館請求記号:||288.5||Ka79||1)
- ②『京都に残った公家たち:華族の近代』刑部芳則著 吉川弘文館 2014 (当館請求記号:K1||361.81||O73||)
- ③『霞会館「京都支所」のあゆみ』大久保利泰著/霞会館華族資料調査委員会編 霞会館 2010 (当館請求記号:K1||361.81||Ka79||)
- ④『華族会館の誕生:明治一五〇年記念』霞会館 2018 (当館請求記号:||361.81||Ka79||)
- ⑤『明治維新と京都 : 公家社会の解体』小林丈広著 臨川書店 1998 (当館請求記号:K1||210.61||Ko12||)
- キーワード
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- 皇族
- 公家
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000320190