レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20201202
- 登録日時
- 2021/01/15 00:30
- 更新日時
- 2021/03/22 14:04
- 管理番号
- 0401002524
- 質問
-
解決
1.足利道鑑について、人物の説明がある本を紹介して欲しい。
尾池玄蕃とも呼ばれていたそうだ。
足利将軍の子供ともいわれているようだ。
2.『綿考輯録』に記載があるという文章について、掲載箇所を教えて欲しい。
a.宮本武蔵と山鹿の温泉にいったこと
b.武蔵たちと熊本城の奥の院でお祝い
- 回答
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1.人物について
『大日本近世史料 [10-21]』東京大学史料編纂所/編纂 東京大学史料編纂所 2008.3
P443「尾池義辰」玄蕃。足利義輝男。出典は『先祖附』。
『姓氏家系大辞典 1 ア―カ』太田 亮/著 角川書店 1963年
P820-821「尾池」桓武平氏頼盛流 讃岐の豪族。『全讃史』から引用。玄蕃、義辰の記述はあるが、熊本での記述はなし。
『言葉のゆりかご』井上 智重/著 熊本日日新聞社 2015.4
P14「足利道鑑」将軍足利義輝と側室於吉との間に生まれた御落胤で、幼名は宮千代丸。
『大日本近世史料 [10-20]』東京大学史料編纂所/編纂 東京大学史料編纂所 2006.3
P488「西山至之」左京。細川家臣。足利義輝子尾池玄蕃の子。出典は『先祖附』、『御家中伝系』。
『三百藩家臣人名事典 7』家臣人名事典編纂委員会/編 新人物往来社 1989年
P456「西山左京」 熊本藩客分。室町幕府最後の将軍足利義昭の弟足利義辰入道道鑑の子。父道鑑は細川忠利に召し寄せられ、百人扶持を給され大坂屋敷に住んだ。
『熊本日日新聞』電子版 平成8(1996)年9月24日夕刊7面「西山家資料が語るもの<下> 尾池玄番の手紙 足利家の末裔を抱えた細川家」
(9/26朝刊P28で、著者は「林千寿」氏と訂正) ※原文ママ
2.『綿考輯録』に記載の文章。
a.宮本武蔵と山鹿の温泉にいったこと
b.武蔵たちと熊本城の奥の院でお祝い
『綿考輯録 第6巻』出水神社 1990.11
巻五十二)
a.P339-344 山鹿での湯治のことが書かれている。
忠利公が山鹿の温泉に行った記述はあるが、武蔵が呼ばれた記述はなし。
b.P344 “2日、御礼帳の通り次第次第並居~奥書院ニて御祝~”
熊本日日新聞のデータベースで調べたところ、
『熊本日日新聞』2004年10月27日朝刊三社「言葉のゆりかご 薪にいたるまで念を入れて接待する」
『熊本日日新聞』2007年6月7日夕刊夕読「トモさんの読みながら書く 史料に見る宮本武蔵」
に、それぞれ武蔵が山鹿温泉に招かれた記事があり、永青文庫所蔵の奉書に記述があるとのこと。
なお、『細川家文書 近世初期編』熊本大学文学部附属永青文庫研究センター/編 吉川弘文館 2012.3
には、該当の奉書は掲載が確認できず。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 熊本県史料 近世篇 第3,[熊本県]/編,熊本県,1965.11 (P386 忠利から尾池玄蕃への手紙。十一月廿日。|0110589967|C/200.8/ク/3)
- 大日本近世史料 [10-20],東京大学史料編纂所/編纂,東京大学史料編纂所,2006.3 (P488「西山至之」左京。細川家臣。足利義輝子尾池玄蕃の子。出典は『先祖附』、『御家中伝系』。|0118758457|C/205/ト/20)
- 大日本近世史料 [10-21],東京大学史料編纂所/編纂,東京大学史料編纂所,2008.3 (P329-330【3860】「十一月廿二日尾池義辰宛書状」、P443「尾池義辰」玄蕃。足利義輝男。出典は『先祖附』。|0119087559|C/205/ト/21)
- 三百藩家臣人名事典 7,家臣人名事典編纂委員会/編,新人物往来社,1989年 (P456「西山左京」 熊本藩客分。室町幕府最後の将軍足利義昭の弟足利義辰入道道鑑の子。父道鑑は細川忠利に召し寄せられ、百人扶持を給され大坂屋敷に住んだ。|0140856428|C/280.4/カ/)
- 戦国大名家辞典,森岡 浩/編,東京堂出版,2013.12 (P28-30「足利氏」 義辰の記載なし。 「尾池」、「西山」の記載なし。|0140283680|C/288/モ/)
- 姓氏家系大辞典 1 ア―カ,太田 亮/著,角川書店,1963年 (P820-821「尾池」桓武平氏頼盛流 讃岐の豪族。『全讃史』から引用。玄蕃、義辰の記述はあるが、熊本での記述はなし。|0111122537|R/288.1/オ/)
- 人物レファレンス事典 古代・中世・近世編[1]あ~す,日外アソシエーツ編集部/編,日外アソシエーツ,1996.9 (なし|0116353913|R/281/ジ/(1))
- 日本近世人名辞典,竹内 誠/編,吉川弘文館,2005.12 (なし|0118704311|R/281/タ/)
- 戦国人名辞典,戦国人名辞典編集委員会/編,吉川弘文館,2006.1 (なし|0118332436|R/281/セ/)
- 新熊本市史 通史編第4巻,新熊本市史編纂委員会/編集,熊本市,2003.3 (P1035 “10月末から11月初め、山鹿の御茶屋で湯治中の忠利は、10月23日、足利道鑑と宮本武蔵を山鹿の茶屋に招待し、翌寛永18年正月2日、武蔵・足利道鑑・西山左京・同勘十郎・春田又左衛門らは御本丸奥書院にて忠利の年頭の御祝いに招かれている(『綿考集録』第六巻)。”|0119477149|C/210A/シ/4-2)
- 綿考輯録 第6巻,出水神社,1990.11 (巻五十)P252「十一月廿二日、尾池玄蕃殿江之御書」 巻五十二)P339-344 山鹿での湯治のことが書かれている。文中(P342)に、“玄番殿腰之痛は中々当年なと直り~”とある。 P344 “2日、御礼帳の通り次第次第並居~奥書院ニて御祝~”|0114657018|C/200.8/イ/)
- 言葉のゆりかご,井上 智重/著,熊本日日新聞社,2015.4 (P14「足利道鑑」将軍足利義輝と側室於吉との間に生まれた御落胤で、幼名は宮千代丸。|0140568080|C/280.3/イ/)
- 細川家文書 近世初期編,熊本大学文学部附属永青文庫研究センター/編,吉川弘文館,2012.3 (なし|0140327016|C/200.8/エ/)
- 先祖附 にの部 南東8 [古] 複写版 8,細川藩/編著 (1.「西山大衛」 尾池玄蕃、西山左京、西山勘十郎、初代・八郎兵衛~9代・直太郎まで。|0113884704|C/282/セ/)
- キーワード
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- 足利義辰
- あしかがよしたつ
- 足利道鑑
- あしかがどうかん
- 尾池玄蕃
- おいけげんば
- 西山道鑑
- にしやまどうかん
- 綿考輯録
- めんこうしゅうろく
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000292428