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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

提供館
(Library)
府中市立図書館 (2310232)管理番号
(Control number)
T府中-20100221
事例作成日
(Creation date)
2010年02月21日登録日時
(Registration date)
2012年07月05日 02時01分更新日時
(Last update)
2013年05月30日 12時19分
質問
(Question)
大正2年に京王電気軌道株式会社が笹塚~調布間の営業を開始したが、開通していなかった新宿~笹塚間・調布~府中~国分寺間を乗合自動車で電車との連絡輸送をしていたという。その際に使われていたのは輸入車(フィアット社製など)であるとあったが、資金繰りが大変だったという時期になぜ日本社製ではなく輸入車なのか、いくらだったのかを調べたい。
回答
(Answer)
購入金額が出ている資料は見つけられなかったのでその旨回答したが、①『バスの缶詰』p.46に「・・・明治・大正期のバスはすべて輸入車であったが、・・・」とあり、日本製ではなかったことは分かった。また、『バスの缶詰』p.46に掲載されている写真が②『日本乗合交通編年史』からとなっていたのでご案内した。
回答プロセス
(Answering process)
まずは京王電鉄の社史などを見れば出てくると考え地域資料をあたる。
以下の2つの資料をあたったところ、車種と台数・定員等は出てきたが、車体価格の記述はなし。
コマーシャルカー社製(定員12名)2台、ビュイック社製(定員9名・10名)各1台、フィアット社製(定員16名)1台の計5台。
・『京王帝都電鉄三十年史』 京王帝都電鉄 1978年 (請求記号:F686/00/ケ) p.13
・『京王線・井の頭線 むかし物語 総集編』 京王エージェンシー/編 京王電鉄 (請求記号:F686/00/ケ) 2003年 p.50

また以下の資料を調べてみたが、開通1ヶ月分の乗客数と乗客賃金の総数の記述のみで車体価格記述はなし。
・『大正期鉄道史資料 第2集 第10巻』 野田 正穂/[ほか]編集 日本経済評論社 1983年 (請求記号:F686/00/タ) p.14

その後、一般資料の鉄道・バス関係をあたる。
①『バスの缶詰』に輸入車のことについて一文があり、p.46に「・・・明治・大正期のバスはすべて輸入車であったが、・・・」との記載があった。また、該当ページで引用されている写真が、②『日本乗合交通編年史』からの転載であるという記述があるのでそれを伝えたが、検索ミスで府中市には所蔵がないと回答。

インターネットでは見つけられず。

データベース『明治の読売新聞』、『大正の読売新聞』、『ヨミダス歴史館』、『聞蔵Ⅱ』でも購入について記載はないが、大正2年4月20日の読売新聞と朝日新聞に運行開始の記事はあった。
・記事と広告が掲載:『大正の読売新聞』、『ヨミダス歴史館』
・広告のみ掲載:『聞蔵Ⅱ』

他にも以下の資料に関連の記載はあったが、該当箇所はなかった。
・『多摩を走ったバス 大正・昭和初期』 清水 正之/編集 清水正之 2007年 (請求記号:F685/03/シ) p.11-13
・『大東京ニ於ケル交通ニ關スル調査 都市計画調査資料 第1編』 東京市 1932年 (請求記号:F682/00/ダ) p.79
事前調査事項
(Preliminary research)
大正2年に動いていたバスは、コマーシャルカー社製(イギリス)、ビュイック社製(アメリカ)、フィアット社製(イタリア)であり、財政困難時であった。
NDC
陸運.道路運輸  (685 8版)
交通史.事情  (682 8版)
参考資料
(Reference materials)
①『バスの缶詰』 日本バス友の会/編著 トラベルジャーナル 1996年 (請求記号:685/バ/)
②『日本乗合交通編年史』 倉島 幸雄/編著 たいせい 1995年 (請求記号:682/ク/)
③『日本のバス年代記』 鈴木 文彦 グランプリ出版 1999年 (請求記号:685/ス/)
④『社団法人日本乗合自動車協会十年史』 小川兼四郎編 日本乗合自動車協会 1937年 (所蔵なし)
キーワード
(Keywords)
京王電鉄株式会社
京王電気軌道株式会社
乗合自動車
価格
バス事業
交通史
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
近畿大学中央図書館
備考
(Notes)
<追加調査>
後ほど検索し直すと自動出納書庫にあり、見るとビュイック社製が約1万円、フィアット社製が9500円とあり、また、国産車第一号が大正13年(1924)に製作されたとの記載があった。
②『日本乗合交通編年史』 倉島 幸雄/編著 たいせい 1995年
  【車体価格】「・・・合衆国ビュイック社製(価格一輌約一万円)の二輌で、 《中略》  イタリアのフィアット社製(定員一六人)一輌を日本自動会社から九、五〇〇円で購入し・・・」p.452-453
  【国産車第一号】「・・・東京石川島造船所 《中略》 国産の乗合バス第一号車ウズレーを製作した。」p.508

輸入車は使っていた理由として、当時(1920年代)の国産車は輸入車(二大メーカーであるフォードとゼネラルモータース)と比べて質も値段も及んでいなかったという記載を見つけた。
③『日本のバス年代記』 鈴木 文彦 グランプリ出版 1999年
  「・・・このころ日本の自動車工業もスタートを切っているが、アメリカの二大メーカーの進出の前には質も価格もかなわず・・・」 p.11

以下の資料には車種と台数の記載はあったが、該当箇所は無かった
・『多摩の鉄道百年』 野田正穂/他編 日本経済評論社 1993年 (F686/03/タ)
 「・・・英コマーシャル(一二人乗り)二台、米ビュイック(九人乗り・一〇人乗り)各一台、伊フィアット(一六人乗り)一台・・・」p.146

また、以下の資料にも関連の記載はあったが、該当箇所はなかった。
・『東京都交通局50年史』 東京都交通局/編 東京都交通局 1961年 (F681/00/ト) p.199-200
・『10年のあゆみ〔京王帝都電鉄〕』 京王帝都電鉄/編 京王帝都電鉄 1968年 (F686/00/ジ) p.8
・『都道府県別乗合自動車の誕生 写真・史料集 日本自動車史』  佐々木 烈/著 2013年 (685/サ) p. 60

その他に以下の情報をいただいたが、当館には所蔵なし。
④『社団法人日本乗合自動車協会十年史』 小川兼四郎編 日本乗合自動車協会 1937年
  【輸入車の理由】「・・・大正時代の本邦自動車界は、その全てを外國車に依存した時代であり、販賣も勿論外國車を販賣し、それに伴つて運轉した車輛の殆んどが外國車に依つたのである。・・・」 p.31
  【車体価格】「東京に於ける京王電氣軌道は大正元年十二月十七日、警視廳より許可を得て、大正二年四月十四日から開業したもので、使用車は三井物産より最初ビツク二輛を一萬圓内外で購入し、・・・後、英國よりコンマーシヤル二輛を購入し・・・、更に豫備車として日本自動車株式会社からフイアツト一輛を九千五百圓で購入し、・・・」 p.37
調査種別
(Type of search)
事実調査
内容種別
(Type of subject)
交通
質問者区分
(Category of questioner)
社会人
登録番号
(Registration number)
1000108222解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決

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