レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018/02/26
- 登録日時
- 2019/02/27 00:30
- 更新日時
- 2019/02/27 00:30
- 管理番号
- H0061
- 質問
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解決
戦前の旭川に「新師団通り」という道路があったとされるが,その道筋について知りたい
- 回答
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・『旭川市史 1巻』(旭川市史編集委員会/編)10頁に,昭和7年10月永山村の一部旭川編入に関する道庁告示の注に「※新師団道路とは日ノ出橋を通って新旭川を北進し,秋月橋に至る道路をこのように云った。秋月橋を経て師団に達することが出来るようになるためにこのように名付けられた。」とある。
・『新旭川市史 第3巻』(旭川市史編集会議/編)109頁に「例えば三十六年度には臨時土木費一万円をもって,新師団道路(十四・十五丁目間横道を延長し永山村域を経て鷹栖村七号道路に通ず)」とある。
・明治末~昭和初期の市街図・地形図等を確認すると,市街地から凡半ばあたりまでは同一だが,その後の師団に至る道筋は異なる。
・『新旭川市史 第2巻』560頁~563頁に開削から道筋の変遷について詳しく記されているが,経緯についてはっきりしない点も多い。
- 回答プロセス
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回答のほか次の資料を確認
・『旭川市史稿』(旭川市役所編/発行 1931)
・『北海道道路概要. 昭和15年5月』(北海道庁土木部道路課, 1940)
・『角川日本地名大辞典 1‐〔1〕』(角川書店 1987)
・『日本歴史地名大系 1』(平凡社 2003)
・『旭川叢書第19巻 旭川の橋』(関根 正次/著 旭川振興公社 1991)
・(内部用)新聞見出し検索データベース
- 事前調査事項
- NDC
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- 地理.地誌.紀行 (290)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000252229