レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019/07/18
- 登録日時
- 2020/04/25 00:30
- 更新日時
- 2020/05/02 13:34
- 管理番号
- 所沢本-2020-001
- 質問
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解決
大江音人の祖先に関することを調べたい。在原業平と関係があると聞いたが、それを確かめたい。
- 回答
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まず、在原業平(ありわらのなりひら)について調べると「平安前期の歌人。平城(へいぜい)天皇皇子阿保(あぼ)親王の五男。」(参考:『日本大百科全書 1』 小学館 1984年)となっています。
大江音人は、「811-877 平安時代前期の文人学儒。江家の始祖。大枝を大江に改める。…元慶元年(877)11月3日67歳で死去。…」、「大枝本主の子」となっています。
業平とのつながりについては、諸説あるようです。
「業平を叔父」としているもの、音人を業平の父阿保親王の孫(阿保親王-本主-音人)としているもの、また音人を阿保親王の子(平城天皇-阿保親王-音人)としているもの、また、これらはすべて、「後の作りごとである」とする説もあります。
以下の資料に関連記載があります。
〇『日本古代中世人名辞典』 平野邦雄/編 吉川弘文館 2006年
〇『日本大百科全書 3』 小学館 1985年
〇『世界大百科事典 4』 平凡社 2007年
〇『新潮日本人名辞典』 新潮社辞典編集部/編集 新潮社 1991年
〇『日本人名大事典 1』 平凡社 1979年
〇『国史大辞典 1』 国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1979年
〇『国史大辞典 2』 国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1980年
〇『王朝の物語と漢詩文』 今井源衞/著 笠間書院 1990年
〇『新編 姓氏家系辞書』 太田亮/著 秋田書店 1979年
- 回答プロセス
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1 所蔵資料の内容確認
《大江音人について調べる》
〇『日本古代中世人名辞典』 平野邦雄/編 吉川弘文館 2006年
P.153「おおえのおとんど 大江音人」の項あり。
「811-877 平安時代前期の文人学儒。江家の始祖。大枝を大江に改める。(中略)叔父に在原業平が居たが、彼の容姿も水際立っていた。(後略)」との記載あり。
P.53「あぼしんのう 安保親王」の項あり。
「(前略)桓武天皇の皇女伊都内親王との間に第五子在原業平があり、また大江音人・在原行平らもその子である。(後略)」との記載あり。
〇『日本大百科全書 3』 小学館 1985年
P.872「大江音人 おおえのおとんど」の項あり。
「平安前期の学者。平城天皇の曽孫と称する。(後略)」との記載あり。
P.871「大江氏 おおえうじ」の項あり。
「(前略)『尊卑分脈』や『本朝皇胤紹運録』、『大江氏系図』などでは大江氏の出自を平城天皇の皇子阿保親王の系とし、平城天皇-阿保親王-大枝本主-大江音人としているが、これは大江氏が自家の家系を尊くしようとした作為によるもので、『公卿補任』に音人について先祖本姓土師とするのが正しい。(後略)」との記載あり。
〇『世界大百科事典 4』 平凡社 2007年
P.73「おおえのおとんど 大江音人」の項あり。
「(前略)大江本主の子。阿保親王の子とする説もある。(後略)」との記載あり。
〇『新潮日本人名辞典』 新潮社辞典編集部/編集 新潮社 1991年
P.314「おおえのおとんど 大江音人」の項あり。
「(前略)平安前期の公卿、文人。江家の始祖。阿保親王の子。大枝本主の養子とみられる。(後略)」との記載あり。
〇『日本人名大事典 1』 平凡社 1979年
P.521「おおえのおとんど 大江音人」の項あり。
「平安朝時代の検非違使別当。弘仁二年生る。備中介本主の子。(後略)」と記載あり。
P.519「おおえうじ 大江氏」の項あり。
「(前略)平城天皇の皇子阿保親王より出でて、親王の侍女、備中介大枝本主に嫁して音人を生み、依って大枝氏と称す。音人、貞観十八年十月改めて大江朝臣を賜ふ。(後略)」との記載あり。
〇『国史大辞典 1』 国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1979年
P.282「あぼしんのう 安保親王」の項あり。
「平城天皇の第一皇子。母は更衣とみられる葛井宿嫺禰藤子。(中略)桓武天皇の皇女伊都内親王との間に第五子在原業平があり、また、大江音人・在原行平らもその子である。(後略)」との記載あり。
〇『国史大辞典 2』 国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1980年
P.520 「おおえのおとんど 大江音人」の項あり。
「(前略)平城天皇の曽孫といわれるが、父は備中権介本主。(中略)叔父に在原業平が居たが、彼の容姿も水際立っていた。(後略)」との記載あり。
P.519「おおえうじ 大江氏」の項あり。
「平安時代に多くの文人を出した氏族。江家(ごうけ)と通称された。その祖先は土師(はじ)氏。(中略)正続『群書類従』所収の『大江氏系図』の諸本には、音人の父備中守本主を平城天皇の皇子阿保親王の子とする記事が見られる。しかし、年齢差よりしても、音人は阿保親王の孫ではありえない。『公卿補任』に、音人の母中臣氏が「阿保親王侍女」であるとみえるから、音人は薬子の変によって父阿保親王が配流される際、大枝本主に養われてその氏を称したものであろう。(後略)」との記載あり。
〇『王朝の物語と漢詩文』 今井源衞/著 笠間書院 1990年
P.92~107「大江音人安保親王子息説をめぐって」の章あり。
P.94「そもそも大江音人が業平と同じく安保親王の子あるいは孫であるとする説は、(中略)院政期、大江匡久の著書『続本朝往生伝』の中の大江音人伝に初めて現れるのである。(後略)」との記載あり。
P.107「(前略)一つの可能性として、匡衡の時代に既に歴然たる兆のあった藤原氏の急追が、今や決定的な段階に達して、重代最後の名儒である匡房は、この脅威の前に、あえてこうした虚構の文字に走ったのではないか、ということも考えられよう。(後略)」との記載あり。
〇『新編 姓氏家系辞書』 太田亮/著 秋田書店 1979年
P.238「大江朝臣」の項あり。
「(前略)後世は総べて系して平城皇子安保親王の後としている。即ち尊卑文脈に「平城天皇-阿保親王-本主-音人」とあり、また皇胤紹運録に「安保親王-大江音人(母中臣氏)]とあり、また、大江氏系図に「安保親王-本主-音人(母中臣氏)」などあるのは統べてこれである。(中略)要するに大江氏が自家の家系を尊くせんが為の行為である。其の安保親王の後とする伝でも、本主を親王の子としたり、音人を親王の子としたりしているが、後の作りごとであることを知るべきである。(後略)」との記載あり。
《在原業平について調べる》
△『日本大百科全書 1』 小学館 1984年
P.744「在原業平 ありわらのなりひら」(825-880)の項あり。
「平安前期の歌人。平城(へいぜい)天皇皇子安保(あぼ)親王の五男。(後略)」との記載あり。
△『世界大百科事典 1』 平凡社 2007年
P.582「ありわらのなりひら 在原業平 」(825-880天長2-元慶4)の項あり。
「平安初期の歌人。(中略)平城天皇の皇子安保(あぼ)親王の五男。(後略)」との記載あり。
△『日本古代中世人名辞典』 平野邦雄/編 吉川弘文館 2006年
P.582「ありはらのなりひら 在原業平 」(825-880)の項あり。
「平安時代前期の歌人。(中略)平城天皇の皇子安保の子。(後略)」との記載あり。
2 記載のなかった資料
×『日本近世人名辞典』 竹内誠/編 吉川弘文館 2005年
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 伝記 (280 9版)
- 参考資料
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- 日本古代中世人名辞典 平野邦雄/編 吉川弘文館 2006.11 281.033 4-642-01434-9
- 日本大百科全書 3 小学館 1985.4 031 4-09-526003-3
- 世界大百科事典 4 平凡社 2007.9 031
- 新潮日本人名辞典 新潮社辞典編集部/編集 新潮社 1991.3 281.033 4-10-730210-5
- 日本人名大事典 1 平凡社 1979.7 281.033
- 国史大辞典 1 国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1979.3 210.033 4-642-00501-3
- 国史大辞典 2 国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1980.7 210.033 4-642-00502-1
- 王朝の物語と漢詩文 今井源衞/著 笠間書院 1990.2 910.23
- 新編 姓氏家系辞書 太田亮/著 秋田書店 1979 288.1
- キーワード
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- 大江音人
- 在原業平
- 大枝本主
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000281031