レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年3月27日
- 登録日時
- 2018/08/01 16:28
- 更新日時
- 2022/05/13 14:58
- 管理番号
- 2018-012
- 質問
-
未解決
荒木和一氏がエジソンと会った時の覚書がどこに所蔵されているか知りたい。
以前同志社大学図書館を訪問した際に、職員から覚書のコピーをいただいた。
同志社大学OPACで「荒木文庫」「荒木英学文庫」に絞って、「edison」などのキーワードを入れて検索してみたが、覚書は出てこなかった。
- 回答
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荒木和一氏がエジソンと会った時の覚書の所在は分かりませんでした。
以前にお渡しした覚書のコピーは、本学嘱託講師がご遺族からいただいたものだと判明しました。
ご遺族が覚書のオリジナルをお持ちかもしれませんので、直接ご遺族へお問い合わせください。
詳細につきましては、回答プロセスをご参照ください。
- 回答プロセス
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1.荒木和一氏、本学荒木文庫についての資料を調査
・本学OPACを検索するが、ヒットせず。
・登録されていない資料の可能性が考えられたので、直接、本学図書館の貴重室内を探したが覚書は出てこなかった。
・CiNii Articles、Google scholarで論文検索 キーワード:「araki waichi edison」「荒木和一 エジソン」
→ヒットした中から以下の論文を確認。
Jeffrey A. Dym “Benshi and the Introduction of Motion Pictures to Japan” Monumenta Nipponica, Vol. 55 No. 4, (Winter, 2000), pp. 509-536
※本学契約データベースJSTORにて公開
→参考文献(p. 531~536)に、荒木和一「ヴアタスコープを輸入した前後」(『キネマ旬報』(559)、p.85-86, 1935年11月21日)が紹介されていたので、それを確認する。
(ヴアタスコープは1897年にエジソンが発表したスクリーン投影方式の映写機のこと)
・荒木和一「ヴアタスコープを輸入した前後」(『キネマ旬報』(559)、p.85-86, 1935年11月21日)
→エジソンと会い、ヴァイタスコープ買い入れの契約をしたことは書かれていたが、覚書のことについては書かれていなかった。
2.事務用資料(内部資料)を確認
→事務用資料のファイルの中に覚書のコピーと、荒木和一氏のご遺族の対応記録があった。
当時図書館に在籍していた職員に詳細を確認したところ、ファイルに綴じられていたものは、本学嘱託講師がご遺族からいただいたコピーだと判明。
→オリジナルはご遺族が保管されている可能性が考えられる。
- 事前調査事項
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・荒木和一氏(1872-1957)は大阪の実業家で、同志社大学の荒木文庫、荒木英学文庫資料の旧蔵者。活動写真(映画)を初めて日本へ輸入した。
・2016年年末、2018年年初に同志社大学図書館を訪問し、荒木文庫、荒木英学文庫の資料の一部(レファレンス協同データベース2018-008で紹介されている資料も含む)を閲覧した。
https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000232581 [参照 2018-2-8]
- NDC
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- 映画 (778 9版)
- 参考資料
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- Jeffrey A. Dym. Benshi and the Introduction of Motion Pictures to Japan. 2000. Monumenta Nipponica. Vol. 55, No. 4, p. 509-536 (NCID:AA00291237)
- 荒木和一. ヴアタスコープを輸入した前後. 1935. キネマ旬報 (559) p. p.85-86 (NCID:AN00278059)
- キーワード
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- 同志社
- 荒木和一
- エジソン
- ヴァイタスコープ
- vitascope
- 覚書
- 映画
- 荒木文庫
- 荒木英学文庫
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 同志社
- 質問者区分
- 学外者
- 登録番号
- 1000239883