レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018/09/19
- 登録日時
- 2019/08/07 00:30
- 更新日時
- 2019/08/09 00:30
- 管理番号
- 6001038782
- 質問
-
解決
江戸時代の江戸にあった地名「四ヶ町」について詳しく知りたい。『江戸の「事件現場」を歩く』(山本博文/監修 祥伝社)の「講武所」の項に「筋違御門外の加賀原(本郷代地~四ヶ町代地)」との記述があった。
- 回答
-
・『角川地名大辞典13 東京都』(「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編 角川書店 1978)
「四ヶ町」では項目立てされていなかったため、p183「かがっぱら(加賀原)<千代田区>」の項目を調査。「加賀原」と呼ばれた土地が、現在の「千代田区外神田1丁目」付近であることが判明したため、次に江戸の古地図と現在の地図を照らし合わせ、江戸の古地図で該当する場所を調査した。
・『江戸切絵図 (別冊歴史読本)』(新人物往来社 1994)
p135「外神田下谷辺絵図」(嘉永6年)を確認したところ、「講武所附町屋敷」の敷地北側に「本郷五丁目代地」「本郷六丁目代地」(本郷代地)、西側には神田川に近い方から「湯島一丁目代地」「神田明神門前丁代地」「湯島三丁目代地」「学問所ソウジヤシキ」とあり。
・『切絵図・現代図で歩く江戸東京散歩(古地図ライブラリー)』(人文社編集部/企画・編集 人文社 2002.7
p40「東都下谷絵図」(嘉永4年)でも神田川に近い方から「湯島一丁目代地」「神田明神門前町代地」「湯島三丁目代地」「湯島學問所掃除屋敷」 となっていた。
切絵図でわかった情報を参考に、上記の4つの町名から再度地名辞典を調査。その結果、「四ヶ町」は公式の町名ではなく、「講武所附町屋敷」周辺の四つの町人地を総称した俗称「四ヶ町代地」のことであるとわかった。
次の資料に各町についての説明がある。
・『日本歴史地名大系 13 東京都の地名』(平凡社 2002.7)
p190-191に4つの町名についてそれぞれ見出しと説明があり、「湯島一丁目代地」の項目に、「当町と湯島三丁目代地・神田明神門前町代地・湯島聖堂掃除屋敷代地を合せて四ヶ町代地と通称した。」との記述があった。ほか3町についても「里俗にいう四ヶ町代地の一」との記載あり。
次の史料に、各町の由来や、文政期の現況などが記載されている。
・『町方書上 1 外神田・下谷』(江戸東京博物館友の会/翻刻 江戸東京博物館友の会 2013.2)
翻刻史料。p83-86「外神田町方書上 五 上」に、湯島一丁目代地・湯島三丁目代地・神田明神門前町代地・湯島聖堂掃除屋敷について書かれており、それぞれの町の項目には他3町とあわせて「惣名 里俗ニ 四ケ町代地ト 相唱申候」という記載がある。また、巻末の「付表・文政期町の概況」p(28)には、文書の記載内容を簡潔に表にまとめたものが収録されている。
[事例作成日:2019年5月29日]
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 日本 (291 10版)
- 参考資料
-
- 角川日本地名大辞典 13 「角川日本地名大辞典」編纂委員会∥編 角川書店 1978 (p183「かがっぱら(加賀原)<千代田区>」)
- 江戸切絵図 新人物往来社 1994 (p135「外神田下谷辺絵図」(嘉永6年))
- 日本歴史地名大系 13 平凡社 2002.7 (p190-191「湯島一丁目代地」ほか)
- 切絵図・現代図で歩く江戸東京散歩 人文社編集部∥企画・編集 人文社 2002.7 (p40「東都下谷絵図」(嘉永4年))
- 町方書上 1 江戸東京博物館友の会‖翻刻 江戸東京博物館友の会 2013.2 (p83-86、p(28))
- キーワード
-
- 講武所(コウブショ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 地名・地域
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000259866