1 烏川村が旧堀金村であることから、『堀金村誌 下巻 近現代・民俗編』『三郷村誌2 第2巻 歴史編』『三郷村誌2 第3巻 歴史編』を確認するも手がかりなし。
2 『長野県職員録 昭和27年1月1日現在』のp.108より、遭難者の氏名が「友野武さん」であることを確認する。
3 「碑」「林政」「南安曇郡」をキーワードに『三郷村の碑文 筆塚・記念碑・文学碑』『長野県政史 第3巻』『長野県政史 別巻』『長野県石碑目録 石碑所在調査報告書』を確認するも手がかりなし。
4 『信毎年鑑 1953年版』を確認。p.7に1951年(昭和26年)12月14日「北アで友野県林政課員遭難死亡」の記事を確認する。
5 これを基に当館契約の「信濃毎日新聞データベース」で調査したところ、12月16日の夕刊及び、12月17日の朝刊にて、友野林政課員遭難の記事を確認する。利用者の情報通り、この時点で遺体は発見されなかったようなので、引き続き、翌昭和27年3月から4月の記事を調べたが、遺体発見についての記事は確認できず。
6 安曇野市明科総合支所の文化課に照会したところ、友野さんの碑と思われる碑が、常念岳・蝶ヶ岳付近の登山道にあるという情報を得る。いつ頃建立されたか等の詳しい情報は得られず。
7 「常念岳」「蝶ヶ岳」をキーワードに『ふるさと常念 人間と自然』『信州山岳百科 1』などの北アルプスに関する資料を確認するも手がかりなし。
8 『アルプスに賭けた汗と涙と 長野県警察山岳遭難救助隊30周年記念誌』の山岳遭難関連資料を確認するも手がかりなし。
9 県庁林務課・人事課に問い合わせてみるも手がかりなし。50年以上前の資料は既に破棄してしまっているとのこと。
<調査資料>
・『長野県職員録 昭和27年1月1日現在』長野県人事課編 長野県 1952 【N280.3/5/'52】
・『信毎年鑑 1953年版』信濃毎日新聞社事業局出版部編 信濃毎日新聞社 1952【N059/2/'53】
・『堀金村誌 下巻 近現代・民俗編』堀金村誌編纂委員会編 堀金村誌刊行会 1992 【N232/51/2】
・『三郷村誌2 第2巻 歴史編』三郷村誌編纂委員会編 三郷村誌刊行会 2006 【N232/23/2-3】
・『三郷村誌2 第3巻 歴史編』三郷村誌編纂委員会編 三郷村誌刊行会 2006 【N232/23/2-2】
・『南安曇郡誌 第3巻(下)』南安曇郡誌改訂編纂会編・刊 1971 【N232/6/3-2】
・『三郷村の碑文 筆塚・記念碑・文学碑』矢野口佳郎[ほか]編 三郷村教育委員会 1988 【N232/48/2】
・『長野県政史 第3巻』長野県編・刊 1973 【N317/74/3】
・『長野県政史 別巻』長野県編・刊 1972 【N317/74/4】
・『ふるさと常念 人間と自然』常念岳研究会編・刊 1982 【N232/72】
・『信州山岳百科 1』信濃毎日新聞社編・刊 1983 【N290.2/325/1】
・『アルプスに賭けた汗と涙と 長野県警察山岳遭難救助隊30周年記念誌』
長野県警察本部防犯部外勤課編 長野県警察本部 1989 【N786/115】
・『長野県石碑目録 石碑所在調査報告書』長野県教育委員会編 長野県文化財保護協会 1990 【N714/44】
・「信濃毎日新聞データベース」