レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018/06/21
- 登録日時
- 2022/03/25 00:30
- 更新日時
- 2022/03/25 16:33
- 管理番号
- 所沢本-2021-036
- 質問
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解決
秀吉と利休の関係について、調べている。それぞれのことや二人の関係、堺のこと、こぼれ話などが書かれた資料を探している。(小説以外の資料)
- 回答
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以下の資料に関連記載があります。
〇『国史大辞典 8』 国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1987年
〇『国史大辞典 10』 国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1989年
〇『国史大辞典 4』 国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1984年
〇『国史大辞典 7』 国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1986年
〇『日本史大事典 4』 平凡社 1993年
〇『日本史大事典 5』 平凡社 1993年
〇『利休大事典』 淡交社 1989年
〇『茶の湯人物誌』 谷端昭夫/著 淡交社 2012年
〇『千利休』 平凡社 2008年
〇『千利休101の謎』 川口素生/著 PHP研究所 2009年
〇『千利休』 唐木順三/著 筑摩書房 1982年
〇『千利休』 村井康彦/著 日本放送出版協会 1989年
〇『千利休・その生と死 』 加来耕三/著 PHP研究所 1989年
- 回答プロセス
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所蔵資料の内容確認
〇『国史大辞典 8』 国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1987年
p481-482 「せんのりきゅう 千利休」の項あり。
「(前略)利休はこの後いよいよ秀吉の信任を得、豊臣秀長と提携して秀吉の側近政治に深く関与し、(後略)」との記載あり。
〇『国史大辞典 10』 国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1989年
p458-460 「とよとみひでよし 豊臣秀吉」の項あり。
〇『国史大辞典 4』 国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1984年
p122 「きたのおおちゃのゆ 北野大茶湯」の項に
「天正15年(1587)10月1日、豊臣秀吉が京都の北野天満宮とその社頭の松原とを会場として、広く諸人の参加を求めて催した大茶会。(中略)また秀吉は四つの茶席を設け、秀吉自身・千利休・津田宗及・今井宗久の4人でそれぞれこれを担当し、(後略)」との記載あり。
〇『国史大辞典 7』 国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1986年
p404 「じゅらくてい 聚楽第」の項あり。
「豊臣秀吉が関白公邸として京都に築いた城郭様式の豪邸。(中略)堀の外には多くの大名屋敷が整然と配置され、千利休の屋敷もあった。(後略)』との記載あり。
〇『日本史大事典 4』 平凡社 1993年
p323 「千利休 せんのりきゅう」の項あり。
「(前略)こうして秀吉の信任を受け、天下一の宗匠の名を得るに及び、側近として枢機にも関与するようになった。89年大徳寺山門を増築し、楼上に自己の木像を安置したが、これがのちに罪に問われることになる。(後略)」との記載あり。
〇『日本史大事典 5』 平凡社 1993年
p262-265 「豊臣秀吉 とよとみひでよし」の項あり。
「太閤伝説の成立」「肖像」などの記載あり。
〇『利休大事典』 淡交社 1989年
千利休について記載されている事典。
p38-97 「利休と天下人」の章あり。
〇『茶の湯人物誌』 谷端昭夫/著 淡交社 2012年
p58-59 「千利休」の項あり。
p60-61 「豊臣秀吉」の項あり。
〇『千利休』 平凡社 2008年
p7-8 「堺のにぎわい」の項あり。
p23-29 「自由都市 堺」の項あり。
p70-88 「大坂城時代」の項あり。
p90-104 「死への道程」の項あり。
〇『千利休101の謎』 川口素生/著 PHP研究所 2009年
Q&A形式で千利休について記載されている。
秀吉との関りについても記載あり。
〇『千利休』 唐木順三/著 筑摩書房 1982年
p37-50 「堺商人の性格」の項あり。
p110-135 「利休の切腹」の項あり。
〇『千利休』 村井康彦/著 日本放送出版協会 1989年
p147-163 「信長から秀吉へ」の章あり。
「(前略)ちなみに利休が秀吉をどのように呼んでいるかを桑田忠親氏の『利休の書簡』について調べてみると、(中略)第三者への書状のなかでは秀吉と呼びすてが多く、(中略)このことは、それまでの利休が秀吉に対してそれほど臣従意識をもっていなかったことを示している。じじつ信長時代はむしろ秀吉の方が「宗易公」と呼んでいた。(後略)」との記載あり。
p214-255 「破局への道」の章あり。
堺の屋敷のことや、利休と秀吉政権についての記載あり。
〇『千利休・その生と死 』 加来耕三/著 PHP研究所 1989年
P155-157 「秀吉と利休をつなぐもの」の項あり。
△『千利休の功罪。』 木村宗慎/監修 阪急コミュニケーションズ 2009年
△『秘史千利休はなぜ秀吉に殺されたのか』 濱岡康正/著 文芸社 2011年
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 茶道 (791 9版)
- 参考資料
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- 国史大辞典 8 国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1987.10 210.033 4-642-00508-0
- 国史大辞典 10 国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1989.9 210.033 4-642-00510-2
- 国史大辞典 4 国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1984.2 210.033 4-642-00504-8
- 国史大辞典 7 国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1986.11 210.033 4-642-00507-2
- 日本史大事典 4 平凡社 1993.8 210.033 4-582-13104-2
- 日本史大事典 5 平凡社 1993.11 210.033 4-582-13105-0
- 利休大事典 淡交社 1989.10 791.2 4-473-01110-0
- 茶の湯人物誌 谷端昭夫/著 淡交社 2012.3 791.2 978-4-473-03803-6
- 千利休 平凡社 2008.10 791.2 978-4-582-92155-7
- 千利休101の謎 川口素生/著 PHP研究所 2009.8 791.2 978-4-569-67299-1
- 千利休 唐木順三/著 筑摩書房 1982 791.2
- 千利休 村井康彦/著 日本放送出版協会 1989 791.2 4-14-001281-1
- 千利休・その生と死 加来耕三/著 PHP研究所 1989.11 791.2 4-569-52620-9
- キーワード
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- 豊臣秀吉
- 千利休
- 堺
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- その他
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000314021