レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年12月13日
- 登録日時
- 2016/12/27 17:16
- 更新日時
- 2018/05/22 13:59
- 管理番号
- 739
- 質問
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解決
石田三成(1560-1600)の少年期のエピソードに「三献茶」というものがある。この「茶」は「抹茶」か「煎茶」か「白湯」なのか知りたい。
- 回答
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逸話なので実際にあったできごとなのか分からないが、「抹茶」ではないかと思われる。
- 回答プロセス
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Ⅰ.逸話事典・評伝をあたる。
①『日本逸話大事典 第一巻』(人物往来社)R281/N/1
『武将感状記』からの引用の形で、三成の献茶のエピソードが紹介されている。
石田三成はある寺の童子也。秀吉一日放鷹に出で喉乾く。其の寺に至りて、誰かある茶を点じて来たれと所望あり。石田大なる茶碗に、七八分にぬるくたてゝ持ちまゐる。秀吉飲レ之舌を鳴らし、気味よし、今一服とあれば、又、たてゝ捧レ之。前よりは少し熱くして、茶碗半にたらず。秀吉飲レ之、又試に今一服とある時、石田此度は小茶碗に少し許なるほど熱くたてゝ出る。秀吉飲レ之、其の気のはたらきを感じ、住持にこひ、近侍に使レ之に才あり、次第に取り立て奉行職を授けられぬと云へり。
(「石田三成、点茶の手際から出世」)
②『石田三成』(今井 林太郎/著、吉川弘文館)289.1/I
人物叢書のシリーズ。石田三成の人物伝。①同様『武将感状記』からの引用や前後の時期の逸話も紹介している。
③『石田三成』(桑田 忠親/著、中央公論新社)B289.1/I
上記逸話については現代語に直しかみくだいた文章で紹介している。献茶の部分については「抹茶」と記述している。
Ⅱ.上記引用文中の語について
「点じる/点てる」(古くは「立てる」… 泡立てること → 抹茶
「淹れる」「煎じる」… 煎茶
Ⅲ.茶についての文献より
① 『茶の文化史』(村井 康彦/著、岩波書店)書庫 791.2/C
② 『煎茶への招待』(小川 後楽/著、日本放送出版協会)791/S
③ 『禅と茶の文化』(古田 紹欽/著、読売新聞社)書庫 791/Z
④ 『日本茶の事典』(スタジオタッククリエイティブ)596.7/N
⑤ 『新訳 茶の本』(岡倉 覚三/著、木下 長宏/訳・解説、明石書店)791/S
⑥ 『中国喫茶文化史』(布目 潮渢/著、岩波書店)383.8/C
⑦ 『栄西 喫茶養生記』(古田 紹欽/著、講談社)383.8/K
などから、茶の歴史についておおまかに述べますと、
茶はもともと眠気さましなどの薬として服用されていたそうで、中国では3世紀ごろから「団茶」という形で飲まれるようになりました。その後12世紀ごろからは「泡立てて(点てて)」飲む=「抹茶」として嗜まれるようになり、禅宗の修行において欠かせないものとされるようになります。その後16世紀までに「煎茶」の製法が確立され「抹茶」に取って代わり普及します。
一方、日本では、9世紀に遣唐使が中国より持ち帰りましたが(団茶)、当時は普及するところまではいかず、12世紀に宋に留学していた栄西が禅宗と共にふたたび茶(抹茶)を持ち帰り広めたと言われます。それで日本の禅宗でも修行の一つとして喫茶儀礼をおこなっていました。その後、他の宗派の寺でも茶を取り入れるようになります。13世紀ごろには病人に薬として茶を施すということもおこなっていました。その後茶の湯が行われるようになります(抹茶)。「煎茶」が中国より伝わるのは17世紀なかば、普及するのは18世紀です。
以上のことから、石田三成の時代に日本で普及していたのは「抹茶」であり、三成が秀吉に献じたものも「抹茶」ではないかと推測できます。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (281 8版)
- 衣食住の習俗 (383 8版)
- 茶道 (791 8版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000205143