レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年07月22日
- 登録日時
- 2022/08/11 11:28
- 更新日時
- 2022/11/10 11:18
- 管理番号
- 2022-8
- 質問
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未解決
『生理各論』の筆録者大久保常成(伊予今治出身)の生没年・略歴(とくに幼少期)・洋学をどこで学んだかについて知りたい。
- 回答
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1 愛媛県生涯学習センターがインターネット上に公開しているデータベース「えひめの記憶」において、『愛媛県史』等のキーワード検索が可能。「大久保常成」では、手掛かりを得ることができなかった。
http://www.i-manabi.jp/system/regionals/regionals/search
2 当館の特別コレクション「愛媛県行政資料(藩政期・明治期)」により、今治藩関係資料をあたったところ、同じ姓の「大久保長春」という人物が医学に関係している記述が、次の2ヶ所見つかった。
(1)【資料1】の電子データ054コマ目
現石拾四石のところに何名も記載されている中に「大久保長春」があり、その右上に「医学修業大阪病院入塾」、上に「月拾七両」と書かれている。
(2)【資料2】の電子データ107コマ目
明治三年九月廿日のところに「大久保長春 仍願洋医学修行被仰付候事」と書かれている。
3 【資料3】p44-45の「第一章近代以前の防疫と医療 第二節諸藩の医家と医師 一伊予諸藩の医家 今治藩」のところに今治藩の医師に関する内容があり、「一〇石三人扶持針治大久保昭庵」という大久保姓の人物の記述があるが、これ以上の内容はない。
4 今治藩の医師の関係から、【資料4】を確認したが、門人等の中に「大久保常成」の記述はなかった。
5 郷土史関係の論文の内容等も検索可能な当館蔵書データベースでもヒットするものがなく、他に資料が見当たらない。
「大久保長春」と「大久保常成」が同人物である可能性はあるが、生没年・略歴等何もわかることがなかった。
- 回答プロセス
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当館蔵書データベース検索及び「えひめの記憶」データベース検索でヒットするものがなかったため、明治初期の人物ということで愛媛県行政資料を調査。
- 事前調査事項
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「明治前期における笑い論の需要と展開」浦和男(『文学部紀要』文教大学文学部第25-1号:P87)。『生理各論』後編一序より、大久保常成:伊予今治出身、大阪医学校、大阪鎮台病院、明治9年4月から淡路洲本病院在籍;前編一緒言より、明治11~12年頃病没。
- NDC
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- 個人伝記 (289)
- 参考資料
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- 【資料1】『禄高帳 今治県 明治4年』<当館請求記号:M01-26>
- 【資料2】『日記(今治藩庁) 明治3~4年』<当館請求記号:M01-15>
- 【資料3】『愛媛県史 社会経済6』<当館請求記号:K200-31>
- 【資料4】『半井梧庵伝』(秋山英一著 「半井梧庵伝」刊行会 1957)<当館請求記号:K911.1-31>
- キーワード
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- 大久保常成
- 大久保長春
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000319842