レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年02月25日
- 登録日時
- 2022/08/05 13:24
- 更新日時
- 2022/08/25 16:49
- 管理番号
- 中央-1-0021561
- 質問
-
未解決
浦和区仲町の町名の由来を調べてほしい。
- 回答
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江戸時代の浦和宿で「中町」が存在し、その後「仲町」に表記変更。もともとが「中町」であったことは資料から確認できたが、人偏がついた理由は分からなかった。
- 回答プロセス
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×『わがまち浦和 地域別案内 改訂版』浦和市総務部行政資料室/編集 浦和市 1992年
p20~ 仲町・東仲町について記載あるが、由来はなし。
○『さいたま市地名の由来 地名からわかること』青木義脩/著 幹書房 2013年
はじめに(ページ付けなし) 「真ん中だから仲町」と記載あり。
p40 「区ができる前、さいたま市全体で町名・大字名を使っていたので、仲町が2つでき、それぞれが浦和仲町、大宮仲町となった。区制が布かれ、それはただちに元に戻った。浦和区仲町、大宮区仲町である」と記載あり。
×『LOVE浦和 ふるさと「浦和」のいまむかし』浦和市 1988年
○『日本歴史地名大系 11 埼玉県の地名』平凡社 2004年
p128「本陣は中町に一軒あり、門構・玄関付き。脇本陣は上町に二軒、中町に一軒」と記載あり。
○『中山道浦和宿 特別展』浦和市立郷土博物館/編 浦和市立郷土博物館 1999年
p13「宿内の中山道は(中略)北から上町(現、浦和区常盤地区に該当)、中町(同、仲町)、下町(同、高砂)に分かれ」と記載あり。
レファレンス協同データベースに以下の類似事例あり。
「旧浦和市仲町の昔(昭和一ケタ代)について知りたい。」
https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000099024(2022.8.5最終確認)
「仲町」という地名自体は、昭和に入ってから生まれた新しい地名。
×『埼玉県地名誌 名義の研究 改訂新版』韮塚一三郎/著 北辰図書 1977年
×『さいたまの地名 増補』埼玉県県民部自治文化振興課/編集 埼玉県県政情報資料室 1983年
×『浦和を知る事典 増補』青木義脩/著 さきたま出版会 1991年
p37~41 地名 仲町記載なし。
×『浦和の歴史と文化を知る本』青木義脩/著 さきたま出版会 1982年
(浦和を知る事典と内容同じ)
×『地名は語る-埼玉の歴史と伝承-[正]』埼玉新聞特別編集委員室/取材・執筆 埼玉新聞社 2019年
p144~147「さいたま市浦和区」
近代化で古い地名が少ない、と書かれている。「浦和」と「木崎」のみ解説あり。
×『地名は語る-埼玉の歴史と伝承-続』埼玉新聞特別編集委員室/取材・執筆 埼玉新聞社 2021年
×『さいたま地名考』岩井茂/著 さきたま出版会 1998年
×『大日本地誌大系 13 新編武蔵風土記稿 第7巻』雄山閣 1981年
×『武蔵国郡村誌 第2巻』埼玉県/編纂 埼玉県立図書館 1954年
「中町」(浦和宿の頃)⇒「仲町」になった?
「中」が真ん中の「中」でよいのか、浦和宿、中山道の資料から調べてみる。
△『中山道浦和宿と本陣脇本陣』星野英一/著 星野英一 2002年
p12「江戸時代初期のころの浦和宿は(中略)、上(常盤)、中(仲町)下(高砂)に分かれており(略)」
「中」の由来は書かれていないが、上中下の「中」と思われる。
△『考証 中山道六十九次』戸羽山瀚/著 秋田書店 1975年
p75 上記と同じく「中町」の表記あり。
○『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編 角川書店 1980年
p620“なかちょう 仲町”が昭和12年からの浦和市の町名として掲載。「もとは大字浦和宿の一部」とある。(西暦では1937年)
×『幕末以降市町村名変遷系統図総覧 1』太田孝/編著 東洋書林 1995年
p370 浦和市の系統図には浦和宿からしか掲載されていない
×『浦和市史 第4巻[1] 近代史料編1』浦和市総務部市史編さん室/編 浦和市 1975年
p201~「武蔵國足立郡村誌(抄)」でp210に浦和宿の字地掲載。なかちょうの名は無し
△『浦和市史 第4巻[2] 近代史料編2』浦和市総務部市史編さん室/編 浦和市 1979年
p59「昭和12年改正新町名・旧大字・小字一覧」。p61に“仲町(ナカチョウ)”あり。
※旧名称に中宿・中ノ原などがあるため、このタイミングで人偏がついたと思われる。
※仲町に本宿、常盤町に上宿、岸町に下宿の旧字名が見られる。
×『大宮の郷土史 第20号』大宮郷土史研究会/編 大宮郷土史研究会 2001年
寄稿「大正から昭和初期の仲町のこと」には参考となる箇所無し
×『仲町公民館10年の歩み』浦和市立仲町公民館 1987年
地名について記述無し
・埼玉新聞は創刊昭和19年なので該当時期の記事が存在しない
・「ヨミダス歴史館」の昭和の地域版検索から“町名”“番地”で検索
×「1937.10.02浦和の町名変更 きょうからは新番地で」埼玉/夕刊
質問回答の参考になる内容は見当たらず。町名変更は「けふ1日から」との記述あり。
△「1935.10.11分かりよくなる浦和の番地 各町へ丁目をつける」埼玉/朝刊
×朝日新聞クロスサーチで同様に検索するが、該当なし
△『住居表示と地番 浦和宿から浦和市まで』川島 浩/著 川島浩 2008年
p3 昭和12年10月1日の大字及字区域変更について。表記理由は無し。
(浦和宿から浦和町に変わったのは明治22年4月1日の町制施行との記述。市制施行は昭和9年2月11日)
・“浦和”ד昭和”で所蔵資料を検索。
×『浦和市勢要覧 昭和12年版』浦和市役所 1937年
×『浦和市史 通史編3』浦和市総務部市史編さん室/編 浦和市 1990年
第二章 第四節「町村合併と「埼玉市」構想」、第五章「市政の施行」に仲町は登場せず
×『浦和市史研究 第13号』浦和市総務部行政管理課/編集 浦和市 1998年
p123「浦和地方における町村制の施行と町村合併」には明治の町村合併までしか書かれていない。
×出典として掲載があったので見たが、もっと大きなレベルの合併の話のみ。
『埼玉県市町村合併史 上巻』埼玉県地方課/編著 埼玉県 1960年
『埼玉県市町村合併史 下巻』埼玉県地方課/編著 埼玉県 1962年
ちなみに、上尾の仲町は、下記のような説明あり。
「広報あげお」2015年6月号
p35 中山道と宿場 ~上尾宿~
https://www.city.ageo.lg.jp/uploaded/attachment/27957.pdf(2022.8.5最終確認)
上尾宿内の呼称である上宿、中宿、下宿は後に上町、仲町、下町となり、このうち上町と仲町は今でも地区名として使用されている。
○『ウォーク・イン・中山道浦和宿 改訂版』さいたま市立浦和博物館/編 さいたま市立浦和博物館 2021年
⇒p14、
“浦和宿は板橋、蕨に次ぐ中山道第3番目の宿場で、その範囲は現在の高砂・東高砂、仲町・東仲町、常盤の地域にあたり、当時はそれぞれ下町(または下宿)、中町(中宿)、上町(上宿)と呼ばれていました”
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213)
- 参考資料
- キーワード
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- さいたま市浦和区
- 仲町
- 地名
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土 地名
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000319701