レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年08月20日
- 登録日時
- 2016/11/09 11:04
- 更新日時
- 2017/01/06 14:28
- 提供館
- 福井県文書館 (9000002)
- 管理番号
- 2016-008
- 質問
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解決
①福井藩の役職名とそれぞれの具体的な仕事、例えば時宜役とはどんな仕事だったのか?
②福井藩の中領とはどこのことか?
③藩士履歴において中村八太夫の項目に「神田橋御住居御立寄」とあるが、これは八太夫が訪ねたということか?越前藩の江戸屋敷についてわかるものは何か?
④廃藩置県の後の、士族から普通の人となった方々の暮らしぶりがわかる本はないか?
- 回答
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①について
福井藩の職制については『福井藩史辞典』(鈴木準道、舟沢茂樹)の記述が参考となる。御時宜役(おんじぎやく)はp67に以下のように紹介されていいる。
”この役は末ノ番時宜役とて定員なし。御在国中御出殿毎に二名、御供頭次に立ち御伴を為す。 御供先きに於て他藩人等にて御時宜を為し居りあれば姓名を承り、時宜見計り披露また挨拶致す役にて、天明八年設けられ維新の際御時宜役は廃れたり”
おおまかに現代語訳すると、主君(福井藩主)が在国中に城外に出るときに御供をし、他藩のものと会う場合などに名前を聴き、タイミングを見計らって主君にそれを伝える(披露する)という仕事。
②について
福井藩は村々を「領」として再編成し、郡奉行を通じて支配を行っている。領は上領、中領、下領に分かれ、時代により多少の編成の違いがみられる。それぞれの領の中に代官が管轄する代官領が設定されている。貞享3年に福井藩は半知となるが、半知後の中領に設定されたのは、志比、吉江、本郷、砂子坂の各代官領である。これらの「領」-「代官領」-「村」の編成も絶えず流動的であったため、江戸時代を通じて福井藩の中領といえばこの地域と断定することはできない。(福井市史 通史編2 P177に詳しい説明あり)
③について
屋敷に立ち寄ったことに対して「~御立寄~」というように敬意をはらう表現となっているため、神田橋の屋敷に立ち寄ったのは八太夫ではなく、江戸滞在中の藩主ではないかと考えられる。また越前藩の江戸屋敷については、「城郭・侍屋敷古図集成 福井城・金沢城」(監修 平井 聖、編集 吉田純一、至文堂)という書籍に福井藩の江戸屋敷について解説と変遷の表(P219)などがある。
④について
旧藩士の暮らしぶりがわかる資料は少ない。明治21年に旧福井藩士の簡単な所在確認を行った資料(松平文庫 「旧福井藩士士族在籍戸主人名」)は残っているが、当主が代替わりしている可能性もあるので、旧藩士の足跡をたどることは難しい。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 福井藩史辞典 ((鈴木準道、舟沢茂樹))
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福井市 編 , 福井市. 福井市史 通史編 2 (近世). 福井市, 2008.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000009422740-00 -
平井聖 監修 , 吉田純一 著 , 平井, 聖, 1929- , 吉田, 純一, 1948-. 福井城・金沢城. 至文堂, 1997. (城郭・侍屋敷古図集成)
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002673083-00 , ISBN 4784301259 - 福井藩士履歴4 た~ね
- キーワード
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- 福井藩
- 時宜役
- 中領
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000199410