レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年05月25日
- 登録日時
- 2022/06/01 16:18
- 更新日時
- 2022/08/24 18:20
- 管理番号
- 2022052501
- 質問
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①函南町柏谷の厳島神社のもともとの場所を知りたい。
②柏谷には湖があったと聞いたが、いつ頃のことか。
③厳島神社は湖の隆起したところに建てられたと聞いたが、宝永火山の噴火と関係があるか。
- 回答
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①厳島神社は天玉峯(天王峯)というところにもともと鎮座していたが、後に現在の狩野川と柿田川との合流地点の沼沢地(島)に遷座したものであると伝えられる。
②湖については、文献より弥生時代にはすでにあったと考えられる。
③地形が隆起したことと江戸時代の宝永噴火との因果関係はなさそうであることがわかった。
- 回答プロセス
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フリーワード「宝永火山」で資料検索したが、ヒットなし。フリーワード「宝永噴火」で資料検索したところ、数点ヒット。書架に行って中を確認したが、この近辺での出来事については記載されていなかった。
どのようなことが知りたいのか質問者に詳細を尋ねたところ、先日柏谷公園の近くにある厳島神社に行った際に厳島神社にまつわる伝説のことを聞き、興味を持ったという。その話の中で厳島神社はもともとこの場所にはなかったこと、そしてこの一帯が湖であったという言い伝えを聞いたとのこと。
フリーワード「厳島神社」+資料種別「地域資料」で資料検索したところ、数点ヒット。その中の『田方神社誌』p.77に、「古くは、天王峯というところに鎮座していたが、いつのころからか現在の狩野川と柿田川との合流地点の沼沢地(島)に遷座したものであると伝えられる。」と記載あり。
函南町のことなので、函南町誌も確認した。『函南町誌 中巻』p.316に「昔、天玉峯と言う所より、現在池頭、池之尻のちめいがのこっている。」と記載あり。
フリーワード「天王峯」「天玉峯」で資料検索したが、ヒットなし。
(※『田方神社誌』では「王」と表記、『函南町誌 中巻』では「玉」と表記)
インターネットで「函南町␣厳島神社」で検索したところ、「三島里山倶楽部」ホームページに「函南の厳島神社」というページがあり、社記抜粋の記載あり。
この記事より、もともと湖の北東方丘地に厳島神社があり、その後、元弁天の地に再建されたと推測される。
そこで、柏谷近辺の遺跡にも手がかりがないかと考え、『伊豆逓信病院敷地内遺跡』を書架から探し出し、中を確認したところ、pp.2-3に「弥生時代の遺跡より弁天遺跡の位置」が記述されていた。位置は現在の厳島神社とほぼ同じである。
フリーワード「弁天遺跡」で資料検索。『肥田誌』p.41に弥生時代の遺跡の項目があり、「柏谷公園の横に弁天さんがあり、この地域は池の内といい、公園になる前は「アララ」と呼ばれた湿地であった。」と記載あり。
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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函南町教育委員会 編 , 函南町教育委員会 (静岡県). 伊豆逓信病院敷地内遺跡 : 発掘調査報告書 第2次. 函南町教育委員会, 1984.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002402465-00 (pp.2-3) -
田方神社誌 : 奉祝天皇陛下御在位六〇年記念. 〔静岡県神社庁田方支部〕, 1985.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I015370670-00 (p.77) -
函南町誌編集委員会/編集 , 函南町誌編集委員会. 函南町誌 中巻. 函南町, 1984.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I015388347-00 (p.316) -
肥田誌編纂委員会/編纂 , 肥田誌編纂委員会. 肥田誌. 函南町肥田区, 2002.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I015438931-00 (p.41)
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函南町教育委員会 編 , 函南町教育委員会 (静岡県). 伊豆逓信病院敷地内遺跡 : 発掘調査報告書 第2次. 函南町教育委員会, 1984.
- キーワード
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- 函南町
- 柏谷
- 厳島神社
- 湖
- 宝永火山
- 噴火
- 弁天
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000316766