参考:日本大百科全書10 P784
【静御前(しずかごぜん)】
生没年不詳。源義経の妾。磯禅師{いそのぜんじ}の娘で、もと京都の白拍子であった。義経が京都堀川第で兄頼朝の刺客土佐房昌俊{とさのぼうしょうしゅん}に襲われたとき、機転によって義経を助けた。以後、義経に従い大物浦{だいもつうら}(兵庫県尼崎市大物浦)から吉野山に逃れたが、山僧に捕えられて鎌倉に護送された。鎌倉では義経の所在に関して厳しい訊問を受けたが、静は固く沈黙を守ったという。頼朝の妻北条政子は、静が舞の名手であると聞き、鶴岡-八幡{つるがおかはちまん}の神前でこれを舞わせた。工藤祐経{くどうすけつね}が鼓を打ち、畠山重忠{はたけやましげただ}が銅拍子を勤めた。静はこのとき、「吉野山峰の白雪ふみ分けて入りにし人の跡ぞ恋しき」「しづやしづ賤の苧環くりかへし昔を今になすよしもがな」と、義経への慕情を歌ったため、頼朝の不興を買ったが、政子のとりなしによって事なきを得た。やがて静は一児を生んだが、頼朝はこれを鎌倉由比ヶ浜に捨てさせた。静を主題とした謡曲に『吉野静』『二人静』があり、浄瑠璃に『義経千本桜』がある。 <鈴木国弘>
参考:日本古典文学大系37 義経記 P296-297
「しづやしづ賤のをだまき繰り返し昔を今になすよしもなが」
解説:「しづやしづ」は「しづのをだまき」の「しづ」を最初にくり返した句。「や」は間投詞。しづは古代織物の一種であるが、自分の名の静をよみ込んだもの。しづ布を織る為の糸の績麻{うみお}を玉のように巻いた巻子{へそ}がをだまき(苧環)である。「しづや…をだまき」は「繰り返し」の序詞、又再びくり返し義経が時めいたような世にする方法があったらよいがなぁという程の歌意である。この歌東鑑、文治二年四月八日の条に静が鶴岡の八幡宮で歌ったと見える。伊勢物語三十二段、「古のしづのをだまきくり返し昔を今になすよしもがな」の歌を本歌とする。源氏物語伊行釈には賢木巻「むかしを今に」の句の引歌として、静の歌ったと同じ詞句が見える。