レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017/03/27
- 登録日時
- 2017/11/09 00:30
- 更新日時
- 2017/11/09 00:30
- 管理番号
- R1000161
- 質問
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解決
大垣にあった巨鹿城焼(巨鹿焼)について知りたい。
- 回答
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巨鹿城とは大垣城の別称であり、『西美濃わが街』No.248によると巨鹿城焼は「大垣藩の御庭焼として「巨鹿城製」の銘で焼かれた陶器」であることがわかる。御庭焼とは『広辞苑』によると「江戸時代、諸藩主の城内や邸内で焼いた茶器などの陶器」のことである。天保年間(1830~1843)から明治3年(1870)頃までに絵付皿や煎茶茶碗・蓋付茶碗が製作されたという。江戸時代後期のものは手書きの染付、明治時代初期のものは銅板染付である。『図説 大垣市史』には、城郭内の松ノ丸(現在の大垣市御殿町周辺)で焼かれたことから「松の丸焼」と呼ばれるとも記されている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- B11884697 巨鹿焼(巨鹿城焼) 複写合冊資料 751.1
- B11755767 図説 大垣市史 大垣市/編 大垣市 2014.3 215.3 (P138)
- B11599353 大垣市史 考古編 大垣市/編集 大垣市 2011.3 215.3 (P619)
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事項調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000224418