レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017/02/07
- 登録日時
- 2017/03/14 00:30
- 更新日時
- 2017/03/14 00:30
- 管理番号
- 200702
- 質問
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解決
昔、十日市場付近にあったという野呂瀬村について知りたい。
- 回答
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中世時代、法善寺が立地する一帯は、加々美荘と呼ばれていた。加々美荘は、鎌倉時代から南北朝時代の荘園名で、『角川日本地名大辞典』によると、「鎌倉時代の前期には青蓮院門跡領だったと考えられる」とされている。また、中世末の荘域を『甲斐国志』は、寺部村八幡宮の天正年間(1573~1591)の板記を引用して、「加々美庄七村、引佐久保・野呂瀬・小柳・藤田・加々美中條・加賀美・寺部」とある。江戸時代にはいると、「加々美庄」は現在の加賀美の範囲だけになり、近世村落としては、十日市場村・加賀美村・寺部村・鏡中條村・藤田村・浅原村の六村となっている。
また、『甲斐国志』によると、寛永年間野呂瀬主税助(ちからのすけ)直自という者が巨摩郡寺部村のうちで所領を与えられ、その屋敷があったところを野呂瀬とよぶようになったという。直自は十日市場出身であり、位牌は十日市場の安養寺に残されている。直自は恕山と号し、安養寺の大檀越として同寺の保護に努め、六地蔵菩薩の掛絵や、自筆の鼻採地蔵縁起や、野呂瀬家系図を奉納している。
- 回答プロセス
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「野呂瀬村」のキーワードで検索したが該当なし。十日市場付近ということなので『若草町誌』を調べる。町の歴史を探すと、第3章中世に、「中世末の荘域を『甲斐国志』は…(中略)引佐久保・野呂瀬・小柳・藤田・加々美中條・加賀美・寺部の七村にあてている」と記載あり。『甲斐国志』は、とあったので調べると、一巻十四 村里部十二の寺部村の項目に野呂瀬の地名の由来についての記述があったので、野呂瀬姓についても調べた。
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 若草町誌
- 大日本地誌大系 44
- 中巨摩郡志
- 角川日本姓氏歴史人物大辞典 19
- 加賀美の郷
- キーワード
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- 野呂瀬村
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000211580