レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年01月17日
- 登録日時
- 2020/01/21 11:36
- 更新日時
- 2020/03/04 13:19
- 管理番号
- 台東区-10350
- 質問
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解決
江戸~日光・奥州へ行くルートは、上野・下谷を通るルートと浅草を通るがあるようだ。本によって片方のみ、両方掲載があったりするが、実際はどうだったのか知りたい。
- 回答
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以下の資料より、上野下谷経由と浅草経由、どちらの経路の利用が主流かまで記述はないが、どちらも利用されていたことがわかる。
『道路・橋梁考』
以下の通り、日本橋から浅草方面を経由する奥州街道と、筋違御門(現万世橋)から上野山下・坂本・金杉・三ノ輪を経て奥州街道に接続する往還が中心になっていたという記述があった。
P.237:江戸時代における本区道路は、この奥州街道と筋違御門から上野山下・坂本・金杉・三ノ輪を経て奥州街道に接続する往還が中心になっていた。
P.240:奥州道中(別称:陸羽街道、奥羽街道)
日本橋→室町3丁目→浅草橋→蔵前→駒形→浅草→吉野町→山谷経由で南千住に至る。
御府内備考では、
浅草橋より蔵前通り、山之宿・新鳥越橋・小塚原を過ぎて千住大橋へ出る。
大橋ができたのは文禄三年その後に定まった道。古くは山之宿より橋場へかかり、隅田川の渡を越えて奥州路へ。
P.241:日光道中の経路については二説ある。
①奥州街道と同じ路順を取って千住に至る
②日本橋から筋違御門(すじかいごもん:現万世橋)・上野広小路・金杉・三ノ輪を経て千住で奥州街道に合す
『下谷区史』
P.612:車坂・坂本・三輪通
和泉橋通りと、仲御徒町通りと、上野三橋の「御成道」の一端が、五條天神門前を過ぎ下谷二丁目に沿って右折したのと、三路の集中した上野山下を起点として東叡山下寺(上野停車場構内)と下谷正法院門前、御徒組屋敷、車坂町等のある間を北へ坂本一丁目に突き当たって左折、右折して坂本二、三、四町目、金杉上、下町を経て三ノ輪町に至り、通新町を過ぎ、小塚原町通、千住大橋手前に出て、奥州街道に合する。
『江戸東京学事典』
P.174:日光道中は、中山道とともに北へ向かうが途中で東へ分岐する。大伝馬町や横山町などをとおって両国広小路のほうへ向かい、浅草橋の所で神田川をこえる。ここから隅田川の裏手を北進し、浅草御蔵の横を通って駒形堂より浅草寺の雷門に出る。猿若町の横をぬけ吉原の北を通る。小塚原刑場・回向院をぬけて千住大橋をこえると千住宿につく。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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東京都台東区. 道路・橋梁考. 東京都台東区, 1963. (台東叢書)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001050409-00 (当館請求記号 T213.6タ-タイトウ, 当館資料番号 121682140) -
東京市下谷区 編 , 東京市下谷区. 下谷区史. 東京市下谷区, 1935.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000752439-00 (当館請求記号 T213.6タ-タイトウ, 当館資料番号 111643011) -
小木新造 [ほか]編 , 小木, 新造, 1924-2007. 江戸東京学事典 新装版. 三省堂, 2003.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000004060997-00 , ISBN 4385153884 (当館請求記号 T213.6タ-タイトウ, 当館資料番号 112998174)
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東京都台東区. 道路・橋梁考. 東京都台東区, 1963. (台東叢書)
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000272794