レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013/01/30
- 登録日時
- 2013/09/04 00:30
- 更新日時
- 2018/07/17 00:30
- 管理番号
- M13032317065766
- 質問
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岡山出身の赤穂浪士がいると聞いたが、誰のことか。
- 回答
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資料①の第二部「赤穂義士実録」によると、岡山出身の赤穂浪士は以下のとおり。
茅野和助常成、神崎与五郎則休、横川勘平宗利:美作出身
早水藤左衛門満尭:備前西大寺出身
(なお、資料⑥によると、中村勘助正辰、三村次郎衛門包常も岡山出身説がある。)
また、岡山にゆかりのある赤穂浪士として、以下が挙げられている。
大石内蔵助:母が岡山藩の家臣の娘。
千馬光忠:妻が岡山藩士の娘。墓が岡山市・正覚寺にある。子・宣忠は、のちに岡山藩士となった。
各人の岡山との関係を解説した資料として、②~⑫がある。
(⑤~⑫については、「デジタル岡山大百科」郷土情報ネットワークで検索して確認。)
また、資料①で“元禄義挙に関係ある人々”として挙げられ、義盟に加わったが討入前に自刃したという萱野三平について資料⑬に以下の記述がある。
“関防として「備前西大寺是我故郷」と刻った印を用いていると伝えられている”
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 参考資料
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①『赤穂義士事典』 赤穂義士事典刊行会,1972,776p.
②『岡山県歴史人物事典』 山陽新聞社,1994,1254p. 「茅野和助」、「神崎与五郎」、「千馬三郎兵衛」、「千馬三郎兵衛の妻」、「早水藤左衛門」の項
③池上淳之/編『赤穂義士 早水藤左衛門満尭』 池上淳之,1996,150p.
④渡辺頼母『赤穂義士 千馬光忠の事』 岡山県郷土史学会,1940,29p.
⑤市川俊介「岡山ゆかりの赤穂義士(Ⅰ)」『月刊岡山』353,1999.4, p.20.
⑥市川俊介「岡山ゆかりの義士(Ⅱ)」『月刊岡山』354,1999.5,p.14.
⑦市川俊介「岡山ゆかりの赤穂義士(Ⅲ)」『月刊岡山』355,1999.7, p.10.
⑧片山亨「「忠臣蔵」と岡山県 ふるさと歴史探訪」『岡山経済』84,1984.12,p.58~61.
⑨片山亨「赤穂浪士の「忠臣蔵」岡山出身の浪士二人も戦功を揚げる(早見藤左衛門・神崎与五郎) ふるさと歴史散策」『岡山経済』203 岡山経済研究所,1994.12,p.62~65.
⑩柴田一「赤穂浪士の遺族の生涯 -千馬三郎兵衛の遺児・藤之丞の場合-」『吉備地方文化研究』15,2005.3,p.31~50.
⑪釋種蓬仙「岡山県と赤穂義士-附元禄義挙と刀圭家寺井玄渓について-」『岡山春秋』6(3),1956.4,p.9~13.
⑫荒木祐臣「備前藩に波及した忠臣蔵騒動」『教育時報』318,1976.2,p.36~37.
⑬西大寺町誌編集委員会/編『西大寺町誌』岡山 西大寺町誌刊行会,1971,522p. 参照はp.510.
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①『赤穂義士事典』 赤穂義士事典刊行会,1972,776p.
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- M2013032317080965766
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 全年齢
- 登録番号
- 1000136678