レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年07月14日
- 登録日時
- 2017/03/24 14:03
- 更新日時
- 2017/12/13 15:06
- 管理番号
- 岩槻-1-00001
- 質問
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未解決
さいたま市立城北小学校が、なぜその場所に設置されたのかの経緯、ならびに通学区の変遷を知りたい。
- 回答
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*設置の経緯
『岩槻市の教育 昭和51年度』(岩槻市教育委員会 1976年)に、「昭和49年9月に仮称第2岩槻小建設決定、校名を「城北小」とする」とある。
そこで、当時の『広報いわつき』を確認したところ、昭和49年11月号に「待望の仮称第二岩槻小建設きまる」との記事があった。
また、『岩槻市史 近・現代資料編Ⅱ 新聞史料』(岩槻市役所 1981)p719には、「『城北小』が今春開校」との埼玉新聞昭和51年1月13日の記事が収録されており、岩槻小学校分割の経緯が記されている。
*通学区の変遷
旧岩槻市の学区は、「岩槻市立小中学校通学区域に関する規則」でさだめられていたことはわかった(『岩槻市例規集2』岩槻市2002年)のだが、昭和41年に制定された後、幾度かの改正が行われており、その改正内容を調べることができなかった。
- 回答プロセス
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さいたま市立城北小学校は、webサイトの沿革史http://jouhoku-e.saitama-city.ed.jp/ (2017.3.24最終確認)によれば、開校は昭和51年4月。旧岩槻市時代であることから、当時の行政資料にあたった。
- 事前調査事項
- NDC
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- 教育史.事情 (372)
- 参考資料
- キーワード
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- さいたま市岩槻区
- 岩槻市
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000212583