レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20150510
- 登録日時
- 2017/03/29 00:30
- 更新日時
- 2017/03/29 10:57
- 管理番号
- 横浜市中央2479
- 質問
-
解決
横浜市金沢区の能見堂跡にある5つの石碑について書かれた資料はあるか。
1 一方句碑
2 江耆楼美山句碑
3 武蔵国金澤碑
4 山室宗珉居士墓碑
5 金澤八景根元地碑
- 回答
-
能見堂跡は横浜市金沢区能見台森にある仏堂跡です。
江戸時代にはいくつもの石碑がありました。
石碑について書かれている資料をご紹介します。
1 『横浜市文化財調査報告書 第7輯 金沢区金石誌』
横浜市文化財研究調査会/編 横浜市教育委員会 1970.3
p.11 一方句碑
p.12 山室宗珉居士墓碑(この資料では享保十六年辛亥碑となっています。)
p.44 美山句碑
p.103 武蔵国金澤碑
それぞれ写真と所在地、大きさ、銘文が記載されています。
また、簡単な解説があるものもあります。
金沢区金石誌は続編が3冊あり、それぞれ『横浜市文化財調査報告書』の
第10輯、第11輯、第14輯ですが、金沢八景根元地碑が掲載されたものは
ありませんでした。
2 『横浜市釜利谷開発地区文化財研究調査報告書 歴史・民俗編』
釜利谷開発地区文化財調査団歴史・民俗班/編 横浜市文化財研究調査会 1976.6
p.47-51に5つの石碑が掲載されています。
記載されている項目は資料1と同じですが、より詳しい解説があります。
3 『武州金沢文学資料』 金沢区役所福祉部市民課/編 横浜市金沢区役所 1978.10
石碑の写真、所在地、碑文、解説が記載されています。
p.3-5 武蔵國金澤碑
碑文の全文と書き下し文があります。
p.8-9 金澤八景根元地碑
p.80 美山と一方の句碑
4 『よみがえれ!能見堂 能見堂跡地再生プロジェクト活動報告書』
金沢街づくりの会・能見堂跡地再生プロジェクト 2010.10
能見堂跡地を整備するプロジェクトの活動記録で、このプロジェクトでは、
石碑などをもとあった場所に戻しています。
整備の際に撮影された写真や石碑について書かれた資料が紹介されています。
p.18-20「2-5-2 石碑の移動」
p.18 【写真14】階段下にあった美山句碑
p.18 「富岡東の鹿島家に3基(一方句碑、武蔵国金澤碑、山室宗珉居士墓碑)が保存されている」
p.19 石碑が鹿島家にあることが書かれている資料12点が記載されています。
5 『かねざわの歴史事典 INDEX金沢』 金沢区生涯学習“わ”の会 2010.5
各石碑の項目では、石碑の建てられた経緯などが書かれています。
p.105 能見堂の石碑
p.29 金沢八景根元地碑
p.110 美山の句碑
p.126 武蔵国金沢碑
6 『金沢の今昔』 杉山高蔵/著 杉山高蔵 1994.3
p.16-18 金沢八景根元地碑、武蔵国金沢碑
p.152-153 金沢八景根元地碑、武蔵国金沢碑、美山句碑、一方句碑
全てふりがながあり、読み方もわかります。それぞれ
「かなざわはっけいこんげんちひ」「むさしのくにかなざわひ」「びざん」
「いっぽう」というふりがながあります。
7 『横浜の句碑 古往今来』 中島邦秋/著 〔中島邦秋〕 2007.12
横浜市内の句碑について書かれていますが、解説や句碑の寸法はあまり
詳しくありません。
p.70-71「五 一方」
一方句碑と武蔵国金澤碑について書かれています。
p.72-73「六 江耆楼美山」
美山の句碑について書かれています。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 歴史補助学 (202 8版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000213389