レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年06月16日
- 登録日時
- 2022/06/18 15:22
- 更新日時
- 2022/08/15 16:13
- 管理番号
- 名古屋市瑞-2022-003
- 質問
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現在名古屋市立大学がある川澄町に、かつて名古屋高等商業学校があったが、何年頃に建物がたったのか、またそのあたりの当時の様子が知りたい。
- 回答
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建物がたったのは大正9年あたりではないかと思われます。
当時は付近一帯見渡す限り大根畠で、数件の農家が点在していた様子です。
名古屋商業高等学校から名古屋市立大学川澄分館に至るまでに、名古屋大学経済学部を経ています。
- 回答プロセス
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『名古屋市立大学50年の歩み』p.14によると、名古屋市立大学病院は昭和6年に「名古屋市民病院」として始まり、場所は現在の瑞穂区瑞穂通でした。昭和38年に、前名古屋大学経済学部より譲渡された敷地に建物を建て、昭和41年6月に看護婦宿舎「川澄寮」、7月に診療が始まる、という記述があり、ここで川澄という地名が出ました。
『写真集 名古屋大学の歴史1871~1991』p.98に1920年(大正9)11月、名古屋高等商業学校設立に関する勅命が公布され、名古屋高等商業学校はその後、名古屋経済専門学校と改称され、名古屋大学経済学部の設立母体になったことが載っていました。
『名古屋大学経済学部五十年史』を見たところ、第三章「名古屋高等商業学校の変遷」p.71で、大正7年に敷地が愛知県愛知郡呼続村大字呼続字川澄に決定したこと、大正9年11月、名古屋高等商業学校を設立したことが記されていました。大正10年3月に入学試験がありましたが、試験時は校舎が使えなかったので第八高等学校の校舎を充てています。授業は同年5月から始まっています。同p.71に当時は大根畠だったとの記述も見つかりました。
- 事前調査事項
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昭和6年に名古屋商業高等学校から名古屋市立大学になった。
- NDC
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- 大学.高等.専門教育.学術行政 (377 9版)
- 参考資料
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名古屋市立大学開学50周年記念誌編纂委員会 編 , 名古屋市立大学. 名古屋市立大学50年の歩み. 名古屋市立大学開学50周年記念事業実行委員会, 2001.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000003035237-00 -
名古屋大学史編集委員会 編 , 名古屋大学. 名古屋大学の歴史 : 1871~1991 写真集. 名古屋大学, 1991.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002160380-00 , ISBN 481580172X -
作道好男, 江藤武人 編 , 作道, 好男 , 江藤, 武人. 名古屋大学経済学部五十年史. 財界評論新社教育調査会校史編纂室, 1977.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000011235354-00
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名古屋市立大学開学50周年記念誌編纂委員会 編 , 名古屋市立大学. 名古屋市立大学50年の歩み. 名古屋市立大学開学50周年記念事業実行委員会, 2001.
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査 事実調査
- 内容種別
- 郷土 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000317381