1.三浦長門守為春の子孫及び兄弟についての詳しい系図として、次の資料がある。
(1)『寛政重修諸家譜 第9』(続群書類従完成会 1980年)巻第530、p97-101「平氏 良文流 三浦支流 三浦」(※為春の子為時まで)
(2)『三浦系圖傳』(〔出版者不明〕)(※8代為質までの詳細な系図で、当主兄弟の子孫についても記載がある)
(3)『紀藩家老三浦家の歴史』(平井 鈴雄/著 旧紀州藩家老三浦家を偲ふ会 1987年)p93-95「三浦氏系図」「佐原氏系図」「正木氏・紀州三浦氏系図」(※紀州三浦氏系図に9代英太郎までの記載がある。)
(4)『先覚文化功労者顕彰 昭和60年度 三浦為春小伝』(和歌山文化協会/編
和歌山文化協会 1985年)p4「三浦家系図」(※9代英太郎までは当主のみの記載であるが、発行当時までの家系が記載されている)
また、系図ではないが、家譜の記載された資料として、次の資料がある。
(5)『南紀徳川史 第6冊』(堀内 信/編 清文堂出版 1990年)p312-320「三浦長門守為春」「三浦長門守為時」「三浦遠江守為隆」
(6)『三浦爲春』(浜田 康三郎/著 紀伊郷土社 1939年)p4-18「為春の家系及び父祖」「為春の略歴及び子孫」「為春と阿萬の方」、p168-176「附録 1 寛政重修諸家譜(抄)」「2 三浦系圖傳(抄)」
2.紀州三浦家の分家と明記している資料は見つからない。上掲(1)『寛政重修諸家譜 第9』巻第530、p101-102に為春の兄弟、康長からの「正木」氏の系図があるが、紀州藩士の記載はない。上掲(2)『三浦系圖傳』には当主以外の男子及びその子孫の記載が多数あるが、紀州藩士であるか確認できない。
3.付家老安藤家の系図については、次の資料に掲載されている。ただし、分家と明記している資料は見つからない。紀州藩士であったかどうかも不明である。
(1)『安藤家略譜』(紀伊史談会 1934年)(※直系のみ)
(2)『日本史諸家系図人名辞典』(小和田 哲男/監修 講談社 2003年)p100(※直系と重信(上野高崎藩ほか)の系図)
(3)『元禄期紀州藩士名簿 和歌山城下町絵図にもとづき作成した』(結城 進/編 結城進 1990年)p67-72「安藤十左エ門」「安藤忠兵ヘ」「安藤内膳正」「安藤札右エ門」(※うち、「安藤内膳正」が直次の家系、「安藤十左エ門」が直次の父、基能の兄弟からの家系)
(4)『和歌山縣田邊町誌』(和歌山縣西牟婁郡田邊町/編 和歌山縣西牟婁郡田邊町 1930年)p1019-1030(直次の系図のほか、直次の従弟で城代家老安藤氏の系図もある)
(5)『南紀徳川史 第6冊』(堀内 信/編 清文堂出版 1990年)p30-100「安藤帯刀直次」「安藤飛騨守直治」「安藤千福丸義門」「安藤忠兵衛正綱」「安藤十左衛門直茂 同十左衛門昆慶」(※p95に系図あり)
(6)『寛政重修諸家譜 第17』(続群書類従完成会 1981年)p168-
(7)『寛政重修諸家譜 第19』p303-304に紀州藩士「安藤昆慶」の系図があるが、付家老の安藤家の家系ではないようである。『和歌山縣史料 58 仮名別諸士系譜 ア~キ 渥美.朝比奈.芦川.安藤.佐野.佐々木.喜多野.衣笠.喜多村』(和歌山県立図書館/編 和歌山県立図書館 1984年)「安藤氏」部分にも同氏の系譜が記載されている。