レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015年09月11日
- 登録日時
- 2017/03/18 17:08
- 更新日時
- 2017/04/27 17:08
- 管理番号
- 2015-0013
- 質問
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解決
永松銅山と幸生銅山を結んだ索道の地図は有りますか。
- 回答
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それぞれの鉱山(銅山)の歴史については、資料1と2と6に詳しい記載があります。
位置について資料3によると、永松鉱山は「最上郡大蔵村永松にあり、西村山郡西川町間沢の北方直距離12km、大蔵村肘折温泉の南方直距離8kmの黒森山の西斜面に位置する。又、創業当時は専ら旧三山電鉄宮内駅より北上する県道で旧支山幸生鉱山(12kmトラックを通じる)を通り、永松本山(徒歩8km)に至った。」とあり、 資料6のp.283では「明治44年には幸生・永松間に策道が建設された。大正6年には、この索道が幸生・白岩間にも設置され、粗鉱やその他の資料・食料品を始めとする生活諸物資はこの鉄索で輸送されることになった。」ことがわかります。
資料4は、寒河江市教育委員会の郷土特別展の図録で貴重な絵図や写真が多くp.31の幸生銅山略図、p.68永松銅山の略図には鉄策も描かれ、p.35・p.36に昭和2年「三山電鉄から月山湯殿山へ」という絵図では白岩-幸生銅山-永松銅山の鉄索と位置関係がわかります。しかし昭和8年大日本帝国陸軍測量部地図に策道の記入は有りませんでした。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 山形県史 通史編 第6巻 現代編 上/山形県編(K209/ヤマ/6)
- 大蔵村史 通史編 /大蔵村史編さん委員会編さん(K250.3/オオ)
- 山形県鉱山誌/山形県商工労働部商工課編(K569.2/ヤマ)
- 永松銅山・幸生銅山図録平成20年度郷土館特別展 平成21年度郷土資料展/寒河江市教育委員会〔編〕(K569.2/サガ)
- 幸生銅山と最上川平成20年度「山形学」地域連携講座・寒河江塾/幸生ふれあい友遊館編(K569.2/サチ)
- 寒河江市史 下巻 近代編/寒河江市史編さん委員会編(K262.1/サガ/3)
- ※( )は自館の請求記号です
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000212261