徳川家康と静岡県に関して、年表のある図書を中心に確認しました。
年月まで入っているもの、年だけのものなどありますが、静岡に関係する年を見ますと、次のような記述になっています。
天文18(1549)年 駿府の今川義元の人質となる。
永禄3(1560)年 岡崎城に入る。
元亀元(1570)年 居城を浜松城に移す。
天正18(1590)年 江戸城に入る。
慶長12(1607)年 駿府に隠退する。
元和2(1616)年 駿府城で死去。
確認した資料は次のとおりです。
『家康伝』(中村孝也/著 国書刊行会 1988年)「徳川家康公詳細年譜」
『徳川家康公と駿府 静岡商工会議所開所120年記念』(静岡商工会議所/〔編〕 静岡商工会議所 [2012年])「年表」
『駿府の大御所徳川家康』(小和田哲男/著 静岡新聞社 2007年)「徳川家康年表」
『徳川家康公』(全国東照宮連合会/編集 全国東照宮連合会 1993年)「徳川家康公略年譜」
『駿府と家康』(久能山東照宮博物館/編 久能山東照宮博物館 1970年)「徳川家康年表」
最も詳しく書かれていたのは、1番目に挙げた『家康伝』で、この資料は、1965年講談社刊の復刻ですが、この年譜では日まで書かれています。
駿府、浜松を含む静岡県で過ごした年数がご覧になった資料で異なっているとのことですが、日数まで含めて満で数えると違ってくるのかもしれませんし、足かけ何年というような数え方をしているのかもしれません。
『駿府の大御所徳川家康』では本文中に「岡崎を出発したのがその年の十二月二十七日といわれているので、早ければその年の内に、遅くとも翌年正月早々には駿府に到着したであろう。」(p.17)とあります。到着を翌年正月という立場に立てば、数え方によっては1年少なくなることも考えられます。
また、『駿府城築城400年 駿府城と大御所徳川家康の世界』(黒沢脩/著 [静岡100年委員会] [静岡] 1989年)では、年表ではありませんが、本文中に、「6歳から9歳までの13年間余りを家康は駿府で暮らしました。」(p.142)とあります。
その他の年についても、著者の見解による違いがあるのかもしれません。