レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20140109
- 登録日時
- 2014/02/28 00:30
- 更新日時
- 2019/06/12 15:56
- 管理番号
- 0030001453
- 質問
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解決
内藤氏が藩主であった時代の鳥羽藩の分限帳など、家臣のことが判る資料がありますか。
- 回答
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『藩史大事典 第4巻』(雄山閣出版 1989)p.512によると、内藤忠勝が鳥羽藩主であったのは、延宝1(1673)年9月11日から延宝8(1680)年6月27日までだったようです。当館所蔵の資料の中で、上記の期間に関連のある鳥羽藩の分限帳は、鳥羽市史編さん室/編纂『鳥羽市史 上巻』(鳥羽市役所 1991)p.978、分限帳(抜)(元和二年・延宝四年)がありますが、この分限帳について不明な点がありました。この分限帳は表紙には、
「元和二辰之頃知行取之分計
分限帳
延宝四年之頃 御家中不残」と書かれており、皇學館大學史料編纂所蔵の北岡四良氏文書にあります。表紙には、元和二(1616)年と延宝四(1676)年の2つの年代が書かれていますが、それ以上詳しい説明が書かれていないため、二つの時代の家臣をどのように列挙しているかというところまでは分かりませんでした。なお、この分限帳には、石高とともに約130人の名前が載っています。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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三重県立博物館にも同じ問い合わせをしています。
- NDC
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000150016