①『朝鮮学校の戦後史 1945-1972』(社会評論社 2002)、巻末資料編「2 1949年に閉鎖された朝鮮人学校」(p251)には、「第一次弾圧による閉鎖学校(同年10月19日現在」と「第二次弾圧による閉鎖学校(同年11月4日現在)の一覧があり、第二次の一覧に京都の12校(院)の名称等の記載がある(p256)。
②『民族学校問題を考える』(京都 アジェンダ・プロジェクト 東京 星雲社(発売) 2003)、第2部資料集に、「資料4 朝鮮人学校に対する措置について(文部省管理局長ほか通達 1949年10月13日」が収録されている(p115)。
③『京都府百年の年表 5 教育編』(京都府 1970)、昭和24年10月19日「知事、6朝鮮人学校の認可を取消す。11・5未認可3校とともに閉鎖を命令(p222)。
なお、①の一覧では、認可は分校もふくめ9校(院)、無認可は3校(院)。
④「占領期の京都の朝鮮人学校 : 一九四九年「学校閉鎖措置」について考える」『講座・人権ゆかりの地をたずねて : 講演録 / 世界人権問題研究センター 編 2010年度』(京都 世界人権問題研究センター 2012)(p133~162)。
表2 「京都府内の朝鮮人学校(1948-49年)」には、23の学校、学院、学級名が掲載されている(p156)。