レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021/6/26
- 登録日時
- 2022/02/28 14:08
- 更新日時
- 2022/03/10 11:00
- 管理番号
- 福参-1185
- 質問
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解決
鍼灸や漢方の養成学校や営業の免許が一度廃止になったと聞いた。
現在のような制度になったのがいつ頃なのか、詳しい年代が知りたい。
- 回答
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〇鍼灸について
◆参考資料2『針灸の歴史』
p.254「針灸界においては、明治四年(一八七一)に太政官布告により盲人官職および杉山流針治講習所が廃止された。明治七年(一八七四)に発布された「医制」では「針治灸治を業とする者は、内外科医の指図を受るに非ざれば、施術すべからず」と規定された(ただし現実には施行されずに終わっている)。(中略)明治十八年(一八八五)の内務省通達「針術灸術営業差許方」をもって、針術・灸術の営業の許可並びにその取締が各府県に委ねられ、これに基づき各府県はそれぞれ取締規則を定め、免許鑑札を与えて営業させた。(後略)」の記述あり。
p.262-263「(前略)昭和二十年(一九四五)太平洋戦争終結ののち、連合国軍の対日占領機関であるGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は日本の種々の制度改革を試み、それは医療制度にも及んだ。昭和二十二年(一九四七)九月、その一つとして針灸按摩などを禁止する要望が厚生省法務局の職員および医療制度審議会の委員らに提出された。その理由としては、教育制度が整備されていない、治療効果の科学的根拠が示されていない、などが挙げられた。これに対し業界は種々の反対運動を展開。同年十月には厚生省がGHQに対して答申を行うとともに、針灸が日本に深く浸透していることを伝えた。これらが奏効してGHQの要望は譲歩され、同年十二月には現在の身分法の前身である「あん摩、はり、きゅう、柔道整復等営業法」(法律第二一七号)が制定された。本法によって営業免許から資格免許となり、免許は公に認定された学校または養成施設を卒業した上、さらに都道府県知事の行う試験に合格しなければ得られなくなった。このような背景もあり、昭和二十五年前後には相次いで針灸専門学校が設立された。(後略)」の記述あり。
◆参考資料3『絵でわかる東洋医学』
p.6「明治初期の西洋医学の導入に際して、鍼灸は、当時の西洋医学に対応する技法がないため医療職からは除外されました。盲人の職業保護の名目で、慰安業としての、はり・きゅう・あん摩の資格と盲学校が残されたのです。さらに第二次大戦後、連合国軍最高司令官総司令部が「非科学的で医学的根拠がない」として鍼灸治療を禁止しました。このような抑圧を受けながらも、1947年「あん摩、はり、きゅう、柔道整復等営業法」が成立し、免許制度が確立しました。(中略)さらに1988年に大幅な改正が行われ、知事認可から大臣認可の国家資格となりました。」の記述あり。
〇漢方について
◆参考資料6『漢方の歴史』
p.216-217「漢方は個人の体質・病状を重視する個の医学、洋方は外科・公衆衛生学に優れた集団の医学である。軍隊には集団の医学が必要である。明治政府は明治七年(一八七四)漢方医学を廃絶し、医師となるには西洋医学修得を必須条件とする方針を選択した。」の記述あり。
p.218「(前略)ごく一部の人々によって民間レベルで伝えられた漢方は、和田啓十郎(一八七二~一九一六)の『医界之鉄椎』(一九一〇)、さらに湯本求真(ゆもときゅうしん)(一八七六~一九四一)の『皇漢(こうかん)医学』(一九二七)などの著述が引き金のひとつとなって、昭和になって次第に脚光を浴びるようになった。」
p.219「戦前戦後を通じ、漢方に関する研究団体、教育機関が組織され、漢方復興の活動が精力的になされた。(中略)一九三八年には東亜医学協会、さらに戦後一九五〇年には日本東洋医学会が設立。一九七〇年代からは、大学や公的研究機関に東洋医学の研究・診療部門があいついで開設され、漢方の科学的研究も各方面の学会において多数発表されるようになった。一九七六年には漢方エキス剤が薬価基準に収載され、診療保険に適用。漢方の復権は確実なものとなった。」
の記述あり。
◆参考資料7『絵でわかる漢方医学』
p.4「明治政府は1895年、医師の開業条件として西洋医学各科の国家試験を課すことにしましたが、これにより既存の漢方医が合格できなくなり、漢方は絶滅の危機に瀕しました。ところが1910(明治43)年、和田啓十郎(わだけいじゅうろう)が「医界之鉄椎(いかいのてっつい)」を著し、当時の西洋医学一辺倒の医学に警告を発したことをきっかけに、西洋医学を一旦学んだあとに漢方を行う医師が出てきました。第二次世界大戦後になると、漢方はやがて急速な発展を遂げます。1950年に漢方の学術団体である日本東洋医学会が設立され、1976年には漢方薬が健康保険に収載され、漢方治療が普及しました。1993年に富山医科薬科大学(現・富山大学医学部)に漢方医学の講座ができ、漢方の医学教育が本格的にスタートしました。」の記述あり。
- 回答プロセス
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①キーワード「鍼灸 歴史」「針灸 歴史」「漢方 歴史」「東洋医学」「医療史」にて自館検索。
関連書架をブラウジング。
参考資料1-7が見つかる
〇鍼灸について
◆参考資料1『日本医療史』
p.14「(前略)医療は医師に限られていたわけではなく、明治政府が医業類似行為として投薬や診断を禁じて取り締まりの対象とした鍼灸(しんきゅう)・按摩・指圧(しあつ)の施術者や、・・・(後略)」の記述あり。
◆参考資料4『はじめての鍼灸』
p.24「(前略)その後、明治政府の西洋化政策によって、鍼灸や漢方などを主流とする日本の伝統的な医学は、表舞台から追いやられてしまうこととなります。昭和に入ると、伝統医学の見直し運動が起きますが、西洋医学の台頭によって、鍼灸は民間医療としての地位に甘んじることとなります。」の記述あり。
p.25「鍼灸治療の民間の支持は強く、鍼師、灸師は1993年に国家資格として制定されることになりました。」の記述あり。
〇漢方について
◆参考資料1『日本医療史』
p.235-236「医制が公布された一八七四年、全国で開業している洋医は約五二〇〇人、漢方医は約二万三〇〇〇人であった(表15「明治初期の医師数」)。既存の漢方医については、一定の履歴を有するものに限って無試験で開業免許が付与されたが、西洋医学による試験に合格しなければ新規に開業することはできなくなり、後進開業権は事実上剥奪されてしまったのである。(中略)一八八三年には、医師免許規則および医師開業試験規則が制定され、漢方の診療も西洋医学の免許を取得した医師にしか認可されないこととなった。」の記述あり。
◆参考資料5『日本大百科全書』6
p.295-296「漢方医学」 〔歴史〕の項目あり。
p.296「(前略)明治時代に入ると、政府は漢方を禁じ、ドイツ医学を主体とする西洋医学を採用したために、漢方医学は衰徴せざるをえなくなった。しかし近年、漢方医学はその特質をもって、ふたたび見直されてきた。(後略)」の記述あり。
②インターネットで調べる。
参考URL1-2が見つかる。
- 事前調査事項
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明治時代の行政文書に記載がある「内務省丘甲第二号」という文書番号の「丘」の意味について調査していく過程で、「内務省丘甲」以外に「内務省石甲」や「内務省東甲」という文書番号が見つかった。
- NDC
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- 医学 (490)
- 参考資料
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- 1.日本医療史 新村 拓/編 東京 吉川弘文館 2006.8 490/21/66 , ISBN 4-642-07960-2 (p.14,p.235-236)
- 2.針灸の歴史 悠久の東洋医術 小曽戸 洋/著,天野 陽介/著 東京 大修館書店 2015.1 492/7/164 , ISBN 978-4-469-23317-9 (p254,p.262-263)
- 3.絵でわかる東洋医学 西村 甲/著 東京 講談社 2011.8 490/9/200 , ISBN 978-4-06-154761-2 (p.6)
- 4.はじめての鍼灸 国民のための鍼灸医療推進機構/監修,医道の日本社編集部/制作 横須賀 医道の日本社 2019.8 492/7/187 , ISBN 978-4-7529-3028-0 (p.24,p.25)
- 5.日本大百科全書 6 Encyclopedia Nipponica 2001 かれ-きよう 東京 小学館 1985.11 031/R/70-6 , ISBN 978-4-469-23316-2 (p.295-296)
- 6.漢方の歴史 中国・日本の伝統医学 小曽戸 洋/著 新版 東京 大修館書店 2014.9 あじあブックス 076 , ISBN 978-4-469-23316-2 (p.216-217,p.218,p.219)
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1.公益社団法人日本針灸師会「鍼灸の歴史」
https://www.harikyu.or.jp/acupuncture/acupuncture-02/#i-2 (2021.11.10最終確認) -
2.ツムラ「漢方の歴史」
https://www.tsumura.co.jp/kampo/history/ (2021.11.10最終確認)
- キーワード
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- 鍼灸
- 漢方
- 東洋医学
- 医療史
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- その他
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000312715