レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20200126
- 登録日時
- 2020/04/01 00:30
- 更新日時
- 2024/03/22 13:47
- 管理番号
- 福参-1144
- 質問
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解決
長野県生まれの島崎藤村がなぜ「椰子の実」という詩を書いたのかわかる資料はないか。
- 回答
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◆参考文献2『ふるさと文学館 第27巻 愛知』
p.601 「柳田国男の『藤村の詩「椰子の実」』(全集別巻三)によると、明治二十八年か九年、柳田がまだ二十一、二歳のころ、体を悪くして渥美半島の伊良湖崎でしばらく静養していたことがあった。するとその近辺に、時おり椰子の実が、潮の流れによって南から流れついた。帰京するとそれをすぐ近くに住んでいた藤村に話した。藤村はその話をもとに作詩したという。」の記述あり。
◆参考文献3『日本文芸鑑賞事典 近代名作1017選への招待 2 明治28-36年』
p.354 「明治三十年(一八九七)の夏、のちの民俗学者柳田国男は、胸を病んで伊良湖岬(愛知県渥美半島にある岬)で静養していました。(中略) ある朝、国男は漂着した一個の椰子の実を見つけ、帰京したのち、親しい詩人の島崎藤村にそのことを話しました。藤村は、「君、その話を僕にくれたまえよ……」と言って、それをあたため、訳詩集『於母影』の中のドイツの詩人、カール・ベールマンの「思郷」(森鴎外訳)の「離郷遠寓椰樹国」(郷を離れて遠く寓る椰樹の国)云々を読んでヒントを得、詩に昇華させたのです。」の記述あり。
◆参考文献6『鑑賞現代詩 1 明治』
p.61-62 「この詩のもとになったのは、藤村自身でなく松岡(柳田)国男の体験でした。松岡国男は三十一年ごろ、病後の療養に三河の伊良湖岬に行き、そこで椰子の実の流れよるのを拾いました。のちに藤村は松岡からその話をきいて感動し、「松岡君、その話は私が頂きますよ」といったとのことです。しかしただそれだけがこの詩を生んだのではありません。藤村の詩には、森鷗外の訳詩集『於母影』に暗示されたものがよく見出されますが、この詩も、その中のドイツの詩人カール・ボエルマンの作を「思郷」と題して意訳した漢詩、離郷遠寓椰樹国(中略)から、主題、詩想を借りてきていることは、まず疑いありません。」の記述あり。
- 回答プロセス
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・自館OPACにてキーワード「島崎藤村」「椰子の実」で検索。
参考文献1-4を見つける。
・参考文献3より参考文献5を確認する。
・ブラウジングで参考文献6を見つける。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本文学 (910 8版)
- 参考資料
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- 1 島崎藤村研究 栂瀬 良平/著 みちのく書房 1996.7 910/268/1498
- 2 ふるさと文学館 第27巻 ぎょうせい 1994.6 918/6/608-27 p.601
- 3 日本文芸鑑賞事典 2 石本 隆一/[ほか]編纂 ぎょうせい 1987.10 910/3R/92-2 p.354
- 4 近代日本文芸読本 第1集 芥川 竜之介/編 日本図書センター 1981 918/6/366-1
- 5 日本近代詩鑑賞 明治編 吉田 精一/著 創拓社 1990.6 911/52/182-1
- 6 鑑賞現代詩 1 筑摩書房 1982 911/52/S278-1 p.61-62
- キーワード
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- 島崎藤村 椰子の実
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- その他
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000279915