1高橋太華について
・『明治の兄弟 柴太一郎、東海散士柴四朗、柴五郎』 中井 けやき/著 文芸社 2008 【L281.04/N4/1】
p.204-205
太華が「幸田露伴ら根岸派文人の一団に加わり、特に露伴と気が合った」との記述があり、根岸派文人たちとの交流が伺えます。また、「太華は後年岡倉天心と知り合い「日本美術」の編集をし、」との一文があります。
・『近代文学の異端者 日本近代文学外史 角川選書 87』 岡保生/著 角川書店 1976 【910.26/O15/】
p.59-67
高橋太華-少年文学の作家として- の章に、「幸田露伴と無二の親友であった」、「根岸派の人びととの交友を思わせる」との記述がありました。
・『日本文學大辭典 第5卷 た・は』 藤村作/編 新潮社 1950 【910.3/F/1-5】
p.432に根岸派の解説があります。「明治20年代に饗庭篁村・森田思軒を中心として東京下谷根岸に在住した文人の一団を指す」として、主な人物として須藤南翠・宮崎三昧・高橋太華・幸堂得知・幸田露伴・岡倉覚三(天心)・川崎千虎が挙げられています。「洒落を愛する数奇人の集まり」「風流を極めた旅行や会合などを催し」との記載があります。
2岡倉天心について
・『岡倉天心をめぐる人びと 五浦美術叢書』 岡倉一雄/著 中央公論美術出版 1998 【289.1/O29/2】
p.57-61 15 中根岸に移る の章に、明治22年に天心が中根岸に転居したこと、根岸派の文士との交流が触れられており、高橋太華の名前がありました。