次の資料から、飯島文齋の関連情報を確認しました。
足利藩との関わりについては、情報を確認できませんでした。
1 略歴を確認した資料
・『栃木縣史 第13巻(傳記編)』(田代善吉/著 臨川書店 1972)
※下野史談会昭和9年刊の複製資料です。
p.34-35に飯島文齋の項があります。奉職に関する情報は、次の記述のみでした。
「弘化二年學成りて栃木に帰へる、開業の餘暇には結城藩田中柳碩につき内科、産科を窮む、後諸國を漫遊せり、
(中略)慶應元年復た栃木に開業す。」
※一部の旧漢字は新漢字で引用しています。
2 名前の掲載を確認した資料
当館の所蔵資料からは確認できませんでしたが、国立国会図書館デジタルコレクションで公開中の資料から名前を確認しました。
※国立国会図書館デジタルコレクションとは
国立国会図書館で収集・保存しているデジタル資料を検索・閲覧できるサービスです。
(参考)「国立国会図書館デジタルコレクション」
http://dl.ndl.go.jp/ ・『日本医籍』(内務省衛生局/編 忠愛社 明22)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780081 (2017.4.7確認)
コマ番号10
「栃木県」の「下都賀郡」の項で、「栃木町 飯島文齋」の記載を確認しました。
なお同町内に、同姓の「飯島亮泰」の記載も確認しました。
飯島文齋との関係についての記述は確認できませんでしたが、参考までにお伝えします。
・『帝国医籍宝鑑』(南江堂 明31)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900127 (2017.4.7確認)
コマ番号243
「栃木県」の項に「飯島文齋」(栃木町)の記載を確認しました。
3 その他の調査資料
以下の資料からは記述を確認できませんでした。
・『近代足利市史 第3巻 史料編 原始・古代 中世近世』(足利市史編さん委員会/編 足利市 1979)
p.981-988「文久三年六月 足利藩の藩政改革による藩士席順調」
文久3年の足利藩の藩士名簿です。「御家老」「御用人」等、役職別に藩士の氏名が掲載されています。
職員が目視で確認しましたが、飯島文齋は確認できませんでした。
また、列挙される役職の中に、藩医に相当する職も確認できませんでした。
・『栃木市史 通史編』(栃木市史編さん委員会/編 栃木市 1988)
「第一章 栃木県名発祥の地栃木」の「栃木県医学校」の項に、明治十五年の出来事の記述に続けて、次の記述がありました。
p.1084「このあと県立栃木病院長には飯島亮泰が就任。明治十七年県庁の宇都宮移転とともに県立病院は、栃木分院となり、浅野虎三郎が分院長ととなり、同二十一年(一八八八)九月分院が廃止となるまで執務した。」
飯島文齋と飯島亮泰の関係についての記述は確認できませんでした。
・『栃木県医師会史 下野医史』(栃木県医師会/編 栃木県医師会 1969)
p.1588-1596「栃木県医師会年表(その1)」に、次の記述がありました。
p.1590「明治十七年(一八八四) 県立病院宇都宮に移転(栃木は分院となる)、中山忠亮院長となる」
前後の記述を確認しましたが、飯島文齋及び飯島亮泰の記述はありませんでした。
・『とちぎメディカルヒストリー』(酒井シヅ/監修指導,獨協医科大学とちぎメディカルヒストリー編集委員会/企画編集 獨協出版会 2013)
・『足利市医師会史 通史編』(足利市医師会会史編纂委員会/編 足利市医師会 1991)
・『足利市医師会史 史料編』(足利市医師会会史編纂委員会/編 足利市医師会 1992)
・『足利の医史抄 第1~27号』(足利市医師会会史編纂委員会/編、発行 1978-1981)
・『足利藩』(菊地卓/著 現代書館 2009)
・『足利市史 上巻』(足利市/編、発行 1928)
・『足利市史 下巻』(足利市/編、発行 1929)
・『栃木市史 史料編 近世』(栃木市史編さん委員会/編 栃木市 1986)
・『栃木市史 史料編 近現代1』(栃木市史編さん委員会/編 栃木市 1981)
・『栃木県歴史人物事典』(栃木県歴史人物事典編纂委員会/編集 下野新聞社 1995)
・『郷土歴史人物事典栃木』(尾島利雄/編著,柏村祐司/編著 第一法規出版 1977)