レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年10月06日
- 登録日時
- 2021/12/15 16:05
- 更新日時
- 2021/12/16 09:38
- 管理番号
- 0000110944
- 質問
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解決
宇部市の常盤(ときわ)海岸について、昭和28年(1953年)11月ごろの新聞に、常盤海岸に7つの洞窟があり、24人が住んでいたという情報があった。どうして洞窟に住んでいたのかなど、このことにまつわる情報が欲しい。
- 回答
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朝日新聞昭和34年(1959年)8月28日山口版に「こんなところが4/住み心地は満点?/市は処置に困って立退勧告/欲しい世間の温かい愛情/宇部市亀浦穴ぐら生活」の記事がある。概要は以下のとおり。
宇部市東区の亀浦(かめうら)海岸には9つのほら穴があり、8世帯約30人が穴ぐら生活をしている。戦中に空襲で家を失った人たちが住み着き、入れ替わりながらも現在に至っている。市は住宅を世話するなど立ち退かせようとしているがうまくいっていない。
なお、この記事は、朝日新聞の記事データベース聞蔵2ビジュアルの地方版に収録されているほか、当館で原紙を保存している。
このほか、資料1によると、昭和35年(1960年)12月に「亀浦海岸の洞窟(9個)に定住者8世帯30人立ち退き命令(洞窟数11個)」とある。その後の経緯については記載がない。
資料2には、映像として洞窟の写真が収録されており、昭和30年代まで人が住んでいた旨のナレーションが入っている。
なお、このほか、以下の資料を確認したが、該当する記述は見当たらなかった。
『宇部市史 自然環境・民俗方言篇』(宇部市史編纂委員会 編纂 宇部市史編纂委員会 1963.5)
『宇部市史 通史篇』(宇部市史編纂委員会 編纂 宇部市史編纂委員会 1966.3)
『宇部市史 通史篇 下巻』(宇部市史編集委員会 編 宇部市 1993.5)
『床波あれこれ』(西岐波郷土史研究会 [編] 西岐波郷土史研究会 1996.4)
『床波あれこれ 第2号』(西岐波郷土史研究会 [編] 西岐波郷土史研究会 2001.3)
『丸尾の歴史あれこれ』(吉村富雄 著 吉村富雄 2000.3)
『報道五十年』(宇部時報社 編集 宇部時報社 1962.11)
『報道六十年』(宇部時報社 編集 宇部時報社 1972.11)
「宇部時報」昭和28年10月1日付けから12月31日付けまで
「朝日新聞」山口版昭和28年11月1日から11月30日付けまで、昭和35年12月1日付から31日付けまで
「毎日新聞」「読売新聞」山口版昭和35年12月1日付けから31日付けまで
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 中国地方 (217 9版)
- 参考資料
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- 1.わくわく常盤∥作成. 常盤校区関連年表. わくわく常盤, 2017. p. 86
- 2.常盤校区コミュニティ推進協議会∥[編] わくわく常盤∥製作・著作. ふるさと常盤 [DVD]. わくわく常盤, [2017].
- キーワード
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- 宇部市--歴史
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000309000