以下の資料に関連の記述を確認しました。
・『うつのみやの空襲 平和への願いと犠牲者への鎮魂の意をこめて,戦災記録保存事業報告
書』(宇都宮市教育委員会/編、発行 2001)
p.220-221 「第2節 私たちの中の宇都宮空襲」の「1 鎮魂の響き」に戦災死没者に対する法要や宇都宮市慰霊塔についての記述と関連した図版が7枚確認できます。
「…(略)…身元の分からない遺体を引き取り、供養を続けた一向寺は、北山霊園にその遺骨を移した後、…(略)…」(p.220)
「空襲1年後の法要【図版249】」(p.221)の解説に「…(略)…一向寺墓地(熱木町)に埋葬された無縁供養とともに、…(略)…」とあります。
「無縁仏位牌【図版250】」(p.221)
「北山霊園にある無縁供養堂【図版255】(p.221)
・『日本の空襲 2 茨城・栃木・群馬・埼玉・千葉・東京都二十三区外』(日本の空襲編集委員会/編 三省堂 1980)
p.98-100「宇都宮空襲」の「深夜、雨をついて焼夷弾奇襲爆撃」(片野勧)項に「…(略)…死体は、警防団員、消防隊員の手によって東小学校の校庭に運ばれた。…(略)…結局、その遺体は、一向寺に仮埋葬された。土葬であった。今、その遺体は無縁仏として、宇都宮市の北山霊園に静かに眠っている。…(略)…」とあります。
・『宇都宮空襲・戦災誌』(『宇都宮空襲・戦災誌』編集部/編 宇都宮市戦災を調査する会 1975)
p.520「第三部 報道記録と戦災関係資料」の「第二章 資料」項に法要に関する下野新聞の記事が引用されています。
○1957(昭和32)年7月13日「殉難者の13回忌法要 宮 市きのう戦災記念日」
市内熱木町市営共同墓地で無縁仏百十七柱の供養を行ったとあります。
○1958(昭和33)年7月13日「無縁仏の追悼法要を営む 戦災13周年迎えた宮市」
市仏教会の協力で熱木町市営共同墓地と西原町観専寺で戦災殉難者の追悼法要を行ったとあります。
・『炎鎮火せず 宇都宮空襲展の記録』(宇都宮平和祈念館建設準備会/編、発行 1985)
p.66「宇都宮市一向寺にある空襲戦死者の位牌」の写真があります
p.80「38年目の証言 宇都宮空襲 下」下野新聞1983年7月14日の記事が掲載されています。
「…(略)…北山霊園。納骨堂には、二十年七月十二日の空襲で死亡した四百五十余人の霊が静かに眠る。…(略)…」とあり、当時の様子や一向寺(新町)の墓地に仮埋葬されたのち北山霊園納骨堂に本埋葬された戦災殉難者の記述があります。
・『二荒山は炎の中に 宇都宮空襲と戦時下のくらし 1930‐1951』(宇都宮平和祈念館建設準備会/編 随想舎 1992)
p.50-51「東校の遺体処理」の項に上記『炎鎮火せず 宇都宮空襲展の記録』に掲載されていた「宇都宮市一向寺にある空襲戦死者の位牌」の写真があります。本文には「…(略)…このような屍体は、他の学校、寺院にも集められ、全部で六百体にも達したという。」とあり、一向寺についての記述はありません。
【備考】町名について
現在一向寺の住所は栃木県宇都宮市西原2丁目です。
・『日本歴史地名大系 9 栃木県の地名』(平凡社 1988)
p.408-409 「贄木町」の項に「現 宇都宮市一条四丁目・花房二丁目・西原三丁目・新町一丁目」「…(略)…熱木町とも記される。…(略)…」とあります。
以下の資料からは関連記述を確認できませんでした。
・『宇都宮市史 第7巻 近・現代編1』(宇都宮市史編さん委員会/編 宇都宮市 1980)
・『一向寺の歴史と文化財』(徳田浩淳/著 清照山一向寺 1976)
・『とちぎ20世紀』上巻(下野新聞「とちぎ20世紀」取材班/編 下野新聞社 2000)
・『宇都宮のいしぶみ』(宇都宮市教育委員会事務局社会教育課/編 宇都宮市教育委員会 1981)
・『宇都宮の先人墓所 明治百年記念出版』(宇都宮市教育委員会/編、発 1970)
・『宇都宮空襲の被害と影響 警察関係文書』(米山和也/編、発行 1994)
なお、インターネット上からは以下の情報をご確認いただけます。
・総務省(
https://www.soumu.go.jp/index.html)
総務省トップ > 政策 > 一般戦災死没者の追悼 > 国内各都市の戦災の状況 > 宇都宮市における戦災の状況(栃木県)
所蔵図書『うつのみやの空襲 平和への願いと犠牲者への鎮魂の意をこめて,戦災記録保存事業報告
書』(宇都宮市教育委員会/編、発行 2001)をもとにした項があります。「6.その他(空襲犠牲者の慰霊に関すること)」の中に北山霊園と一向寺の記述があります。(最終確認日:2021年3月6日)