以下の資料に関連情報を確認しました。
・『栃木県の百年』(大町雅美/著 山川出版社 1986)
p.224-225「中学校・女学校の学徒動員(昭和19年度)」の表があります。学校ごとの動員先工場をまとめた一覧ですが、「工場事業場名」欄から、県内の軍需工場の名前を多数確認できます。
また、県内各地の市町村史にも記述を確認しました。
・『宇都宮市史 第8巻 近・現代編2』(宇都宮市史編さん委員会/編 宇都宮市 1981)
p.73-78「軍需工場とその転換」
・『近代足利市史 第2巻(通史編 近代3~現代)』(足利市史編さん委員会/編 足利市 1978)
p.612-627「第七編 昭和前期 第五章 軍需工業の成立と崩壊」があります。中島飛行機会社の下請工場や「国華工業株式会社足利工場」の記述が散見されます。
・『小山市史 通史編3』(小山市史編さん委員会/編 小山市 1987)
p.814-837「第四章 昭和恐慌・戦時下の小山」の中に「三 戦争経済と軍事工場」の頁があります。
p.817-822「2 軍需工場の設立」の中では「古河電工」と「小平重工業」の項があります。
・『大平町誌』(大平町教育委員会/編 大平町 1982)
p.522-524「第二章 商工業 第一節 大平町の商工業」があります。「株式会社日立製作所栃木工場の概略」の項があり、軍需工場時代の記述があります。
巻末の年表にも、日立製作所栃木工場の誘致、操業開始に関する記述を確認しました。(p.853)
※市町村史を調査するにあたり、次の資料を参考にしました。
・『地場産業振興ビジョン 地場産業活性化へのプラスワン』(栃木県産地中小企業等振興協議会/編、発行 1988)
「Ⅰ 地場産業を取り巻く地域環境」の章があり、「戦時中には、宇都宮市、足利市、小山市、大平町等に中島飛行機製作所、日本製鋼、古河鉱業、日立製作所等の軍需工場が疎開し、これらを中心に戦後にかけて金属プレスやプラスチック製品等の下請中小・中堅企業が育成された。」とありました。
以下の資料は、お調べしましたが関連の記述は確認できませんでした。
・『栃木県史 通史編6』 (栃木県史編さん委員会/編 栃木県 1982)
p.891-914「第十一章 戦時体制下の民衆生活 二 戦時生活」の中に「勤労動員」の項があります。「敗戦時における栃木県の軍需会社法適用工場は一八を数えた」(p.901)等、軍需工場に関する記述が散見されますが、具体的な工場名等は確認できませんでした。
・『栃木県勢要覧 昭和19年』 (栃木県/編 栃木県 1944)
p.44に「軍需工場の林立を見つゝあり」と記載がありますが、具体的な工場名、設置場所の記述は確認できませんでした。
・『開けゆく郷土 栃木県工業地域の動向』(栃木県地理談話会/編 栃木県地理談話会 1968)
p.8に戦時中の工場疎開の記述がありますが、主だった工場名の紹介のみでした。
・『工場法(第一条)適用工場一覧 昭和10年9月現在』(栃木県工場懇話会連合会/編、発行)
当時の工場の一覧が地区別にまとめられており、「業務別 / 工場名 / 工場所在地 / 工場主又ハ工場管理人 / 職工数」が確認できますが、軍需工場か否かは記されていません。
・『「下野」世相100年』(「下野」世相100年刊行委員会/編 下野新聞社 1984)
・『栃木県の歴史』(阿部昭〔ほか〕/著 山川出版社 2011)
【参考】「軍需工場法」の指定を受けた「軍需会社」について
昭和18年10月31日に成立した「軍需会社法」により、軍需事業(兵器・航空機等の生産や加工、修理をする事業)を行う会社が、国から「軍需会社」として指定されています。「軍需会社」の指定は、昭和19年1月18日から昭和20年5月頃まで断続的に行われているようです。
「国立国会図書館デジタルコレクション」で公開されている以下の資料から、昭和19年4月27日までに「軍需会社」の指定を受けた約580社の社名を確認することができます。残念ながら、各会社がどの地域に工場を持っていたか等を確認することはできませんでしたが、ご参考までにお伝えします。
・『戦時統制法令叢書. 第18輯 軍需會社法解説』(銀行問題研究会/出版 昭和17-19)
URL:
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1060766/82 コマ数:82~90「軍需会社指定ノ件」
また、上記情報を元に、「軍需会社」の指定が始まった昭和19年1月18日前後の下野新聞をお調べしました。「軍需会社」指定に関する記事は確認できましたが、県内の工場に関する記述は確認できませんでした。