レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014年03月11日
- 登録日時
- 2014/03/22 14:22
- 更新日時
- 2014/03/22 14:22
- 管理番号
- r148
- 質問
-
解決
徳川家光が、将軍就任の際「我は生まれながらの将軍である」と言ったそうだが、このエピソードの出典が知りたい。
- 回答
-
以下の資料は調査済でした。
・『徳川家光』(藤井譲治/著 吉川弘文館 1997)
・『徳川将軍列伝』(北島正元/編 秋田書店 1974)
・『徳川実紀 第二篇、第三篇』(黒板勝美/編、国史大系編集会/編 吉川弘文館 1981)
・『徳川家光公傳』(日光東照宮/著 日光東照宮 1961)
徳川家に関する資料を網羅的に調査した結果、以下の資料に関連する記述が確認できました。
・『名将言行録 第5巻』(岡谷繁実/著 帝国青年教育会 1911)p230
家光嗣立せし時、國主の人々を悉く召集めて曰く、祖父の天下草創は、各の自力を以てなり、又父も昔は各の傍輩たり、拠て客人分の會釋にて、丁寧に参勤の砌も、品川、千住まで使をも出せしなり、然るに、我代に及びては、生まれながらの天下にして、今まで二代の格式とは替わるべきなり(略)
『名将言行録』は、第1巻「序」によると、「安政甲寅の歳」に起稿、明治2年に初版が刊行されています。内容の出典は、第1巻の「名将言行録引用書目」(巻頭)に示されており、古記録、日記、家譜等、全1,251部の資料が挙げられています。
この他、以下の資料には、該当する内容や出典についての記述は確認できませんでした。
・『国史大辞典 10』(国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1989)
・『徳川幕府事典』(竹内誠/編 東京堂出版 2003)
逸話自体の記述はありますが、本人の言葉であるのと表記はありません。
・『江戸逸話事典』(逸話研究会/編 新人物往来社 1989)
・『人物逸話辞典 上、下巻』(森銑三/編 東京堂 1963)
・『江戸史料叢書 落穂集』(萩原達夫/著 水江漣子/著 人物往来社 1967)
p21-24に、家康が竹千代(後の家光)を弟より上に扱った、という逸話が載っています。
・『日本名著大系 第1巻』(「武野燭談」)(三島才ニ/編 聚芳閣 1925)
p47-48に、「落穂集」と同様の記述があります。
・『新井白石全集 1、2』(「藩翰譜」)(新井白石/著 国書刊行会 1977)
・『三河物語 上、下』(大久保彦左衛門/著 小林賢章/訳 教育社 1980)
・『徳川将軍権力の構造』(所理喜夫/著 吉川弘文館 1984)
・『春日局 戦乱から平和へ徳川幕府を支えた女性の波瀾の生涯』(角川書店編集部/編 角川書店 1988)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 家光
- 生まれながらの将軍
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000151098