レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2006/03/20
- 登録日時
- 2007/12/06 02:25
- 更新日時
- 2008/11/02 14:17
- 管理番号
- 10-3A-200603-29
- 質問
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解決
「住吉街道」という街道があると聞いたが、その起点・終点・現在の道との関連を知りたい
- 回答
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住吉街道については、
(1)住吉大社付近で紀州街道から東行分岐し、住吉大社を横切り現在の長居交差点に到る道筋の名称として用いられる場合と、
(2)紀州街道の一部の別称として用いられる場合 との二つの用例が見られます。
(1)住吉大社を横切る住吉街道について、
「住吉区史」 p.231~ 「住吉街道」の項では、「経路は住吉大社境内西北角地点の紀州街道を起点に、大社境内を地を横断する。その道筋は大社第一本宮と旧神宮寺境内との境界道路を通る。東門北側で境内を抜けたあとはそのまま東進、長居公園通りに合流して終わる。」との説明があります。
また、「住吉村誌」 p.203 「住吉街道」の項では「住吉街道は墨江村大字長峡紀州街道より分岐して住吉神社の北側を縫い、東に進みて字中辻を過ぎ、字大領、龍王、仁王町、蛭田、下中島、寺岡西等の南辺墨江村大字上住吉との境界線をなし、長居村大字寺岡に至り、更に平野郷町に達する通路にして、村内の延長八百二十間、幅員二間を有す」と説明があります。
「住吉区史」・「住吉村誌」ともに、地図は掲載されていません。
「大阪市の旧街道と坂道」増補再版 (旧街道等調査委員会編 大阪市土木技術協会)は、現在の住吉大社社務所付近から住吉大社を東に横切りやがて南東に下りながら、JR長居駅の西側で現在の長居公園通に合流し、長居交差点(長居公園南西角)付近で旧八尾街道に接続する道筋を「住吉街道」として記載しています。
これは最近の地図上に旧街道筋を重ねて示した図ですので、現状との比較が容易です。
(2)紀州街道の一部の名称として紹介しているもの
『大阪春秋 66号 おおさかの歴史散歩道 3』のp.28~29「路面電車が避けた道」では、堺では昔の堺環濠の北之橋(現在では綾之町付近)から住吉大社までを「住吉街道」と呼んでいるとして、その区間を阪堺線路面電車経路との比較で示した略図が掲載されており、『大阪春秋 71号 堺筋・紀州街道』のp.28~29「紀州街道沿いの住吉付近散策」では、紀州街道は大阪を起点とし、和泉地方を通り和歌山にいたる道で、別称住吉街道ともいったとして、南港通りの辺りから南へ大和川まで、街道に沿って散策した道筋を地図上に示したものが掲載されています。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 交通史.事情 (682 9版)
- 参考資料
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『住吉区史』大阪都市協会編 住吉区制七十周年記念事業実行委員会 1996年 当館書誌ID:0000624165)
『住吉村誌』(住吉村常盤会 1927年 当館書誌ID:0080230635)
『大阪市の旧街道と坂道 増補再版 』(旧街道等調査委員会編 大阪市土木技術協会 1987年 当館書誌ID:0000250661)
『大阪春秋 66号 おおさかの歴史散歩道 3』(大阪春秋社 1992年 当館書誌ID:0000250452)
『大阪春秋 71号 堺筋・紀州街道』(大阪春秋社 1993年 当館書誌ID:0000320507)
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『住吉区史』大阪都市協会編 住吉区制七十周年記念事業実行委員会 1996年 当館書誌ID:0000624165)
- キーワード
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- 住吉街道
- 住吉
- 街道
- 大阪府大阪市
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000040087