レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2009/09/11
- 登録日時
- 2010/01/24 02:11
- 更新日時
- 2010/01/26 13:03
- 管理番号
- 埼熊-2009-052
- 質問
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解決
間宮林蔵が1807年(文化4年)に択捉島でロシア艦隊により襲撃された事件について調べている。襲撃地の地名は「シャナウ」か「シヤナ」かを知りたい。
- 回答
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調査した下記資料によると、「シャナ」と考えられる。
『間宮林蔵〈隠密説〉の虚実(江戸東京ライブラリー1)』(教育出版 1998)
p39-55「第5章 エトロフ島事件」の中に「エトロフ島の中心基地シャナ」という表現あり(p39)。
『間宮林蔵 北方地理学の建設者(Century books)』(清水書院 1974)
p48-51ロシア海軍大尉フォストフによるエトロフ島襲撃に関する記述に、〈シャナの状況〉という項あり。
『間宮林蔵』(至玄社 〔1940〕)
p29-37 〈紗那の砲煙〉という節あり。ここでは漢字で「紗那」とされている。また、後日、ロシアの海軍中佐ゴローウインと間宮が対談した際のゴローウインの言葉として、「シヤナ」という表記が見られる。この資料はやや古い時代の著作なので拗音を小文字で表現しておらず、実際には「シャナ」であったと考えられる。
『私残記 大村治五平に拠るエトロフ島事件』(中央公論社 1977)
p203-211 「エトロフ襲わる、幕吏の醜状」で地名を「シャナ」と表記。
『日本史大事典 1 あ-お』(平凡社 1992)
p911-912〈択捉島 えとろふとう〉の項に「1807年(文化4)ロシア人フヴォストフらによるシャナ襲撃事件の際は」という記述あり。
『日本歴史地名大系 1 北海道の地名』(平凡社 2003)
p1596「紗那」=シャナとあり。
- 回答プロセス
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〈間宮林蔵)《択捉島(エトロフ島)》などをキーワードに所蔵資料を調査して回答する。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 9版)
- 参考資料
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- 『間宮林蔵〈隠密説〉の虚実(江戸東京ライブラリー1)』(小谷野敦 教育出版 1998)
- 『間宮林蔵 北方地理学の建設者(Century books)』(赤羽栄一 清水書院 1974)
- 『間宮林蔵』(佐佐木千之 至玄社 〔1940〕)
- 『私残記 大村治五平に拠るエトロフ島事件』(森荘已池 中央公論社 1977)
- 『日本史大事典 1 あ-お』(平凡社 1992)
- 『日本歴史地名大系 1 北海道の地名』(平凡社 2003)
- キーワード
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- 択捉島(エトロフ島)
- 間宮 林蔵(マミヤ リンゾウ)
- 地名-シャナ-ロシア
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 地名
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000062321