レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年04月08日
- 登録日時
- 2011/05/08 13:31
- 更新日時
- 2011/07/05 11:10
- 管理番号
- 福井県図-20110408-3
- 質問
-
未解決
1.梅田雲浜が亡くなった後、湖南塾、望楠軒を継いだ人物は誰か。
2.湖南塾、望南軒はいつまで存続したか。
- 回答
-
1.「望楠軒講主としての学問的地位は大沢雅五郎(鼎斎)によって継承された」との記述がある。
大沢鼎斎は漢学者で、のち小浜藩の藩校・順造館教授となった。
(以下、2011年7月5日更新)
『成斎・西依周行』(西依成斎生誕三百年記念事業実行委員会 2001年)
p130に「崎門学望楠軒学派系図」が掲載されています。
これによると、8代梅田雲浜のあとは、9代が大沢鼎斎、10代が西依孝通となっています。
2.不明
- 回答プロセス
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1.梅田雲浜に関する資料を調べる。
『梅田雲浜』(法本義弘/著1981)p95に記述あり。
『流星:梅田雲浜の生涯』に、湖南塾、望楠軒の章がある。この資料は小説風の伝記資料。
2.湖南塾、望楠軒に関する資料を自館蔵書検索、CiNii検索などするが、なし。
3.『国史大辞典』にも関連する記述なし。
4.西依成斎に関する資料を調べる。
『成斎・西依周行』 p130に「崎門学望楠軒学派系図」あり。
『西依成齋基礎資料集』(岸本三次/編 岩田書院 2005年)を関係文献として紹介。
『望楠軒の精神 : 楠公を慕ふ人々』(河野辰三/著)・・・当館所蔵なし
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 8版)
- 参考資料
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- 『梅田雲浜』(法本義弘/著 小浜市立図書館発行 1981年)
- 『流星-梅田雲浜の生涯』(岡村昌二郎/著 若狭文化叢書刊行会 2000年)
- 『成斎・西依周行』(西依成斎生誕三百年記念事業実行委員会 2001年)
- キーワード
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- 梅田雲浜
- 湖南塾
- 望南軒
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000085920